昭和8年、岡元町が置屋指定地となってから、逐次置屋ができました。写真は、岡元町の東端の置屋「都」と思われる建物。*1
花街が衰退した後は、旅館みやこ荘に転業しました。*2
当時の屋号が残っています。
実際に置屋が増えてきた段階では、岡元町よりも岡元町と本通り(県道)の間の「新富町」に、多くの置屋が置かれました。東端から、喜仙、瓢家、富乃家、曙、吉住、芳野家、花房家、玉の家、北繁松が建ち並びました。*1
ハートのマークの装飾。
【参考文献】
*1 区誌編集委員会:新屋敷区誌(新屋敷区,2008)P.229,P.232「昭和前期の芸妓置屋等配置図」
*2 岡谷市下諏訪町住宅明細地図(1970)P.18