-全国 東京都 > 中央区 銀座
すべてのジャンル > 遊興 > 花街・カフェー 花街 1旧北条花街 2料亭らしき建物 3花街跡 4稲荷町の花街跡 5新井薬師の花街 6三業会館跡地 7料亭「亀太川」 8料亭「河文」 9花街跡地 10花街跡地 11城東三業組合事務所跡 12料亭「富久家」 13料亭「寿々代」「七福」 14香取神社 15海喜館 16花街跡 17花街跡地 18見番周辺 19見番跡 20よし梅本店 21浜田家 22㐂寿司 23小川路地 24料理屋「寿茂登」裏の小路 25旧二業組合跡地 26花街だった通り 27鳥瞰図の掲示 28八王子三業組合 29八王子花街 30置屋「ゆき乃恵」 31芸者新道 32蓮池の碑 33蓮池通り 34花街跡 35三業組合跡 36日本橋花街跡地 37交差点の木造家屋 38向嶋墨堤組合 39待合の建物 40老舗料亭 41三業地跡 42三業地跡 43花街跡 44大塚三業通り 45料亭「和可月」「まきしま」 46料亭「浅元」 47かつての料亭街 48料亭「梅元」 49待合「満佐喜」跡地 50大森新地跡 51大森新地跡地 52掃部山花街跡 53料亭「丸子園」跡地 54新丸子三業跡 55花街跡 56料理屋「増田や」跡 57南地花街跡 58烏森花街跡 59花街跡 60旭町花街跡地 61花街跡 62大森寺の鉱泉碑 63花街跡 64諏訪神社 65花街跡 66三業通り 67料亭「寿々代」 68料亭都鳥 69料理店「一直」 70浅草三業会館 71芸妓屋街 72料亭 73料亭いな垣 74柳橋の花街跡 75花柳街跡地 76芝神明花街跡 77芝神明花街跡 78円山町 79料亭「宮よし」跡 80検番渋谷三業会館 81芸妓置屋跡 82天神下の花街跡 83扇屋 84王子花街 85花街跡 86花街跡 87花街跡地 88船越町のバー 89花街跡地 90八幡神社の石碑 91花街跡地 92兵庫横丁 93寺内公園 94見番横丁 95花街跡 96開化楼跡 97料亭「新喜楽」 98かつての料亭の遺構 99花街跡地 100穴守二業地の名残 101協働会館 102旧料亭「雪むら」 103津の守弁財天 104石畳の通り 105旅館「松島」 106花街跡 107「二業」の電柱標識 108二業地見番跡 109二業地跡地 110花街跡 111十二社花街跡 112割烹 113料亭跡 114カフェー跡 115「三島屋」の建物 116古い建物 117飲食街 118料亭「富貴楼」跡地 119旧料亭の「魚久」 120旧神明花街 121神明花街跡 122駒込神明花街跡 123料理屋「海の家」跡地 124花街跡地

銀座(カフェー跡)文士たちが遊んだキャバレーのルーツ。

今回は、銀座(東京都中央区)の町並みと風俗を散歩します。
明治44年3月、銀座に日吉町に、「カフェ・プランタン」が開店したのが、東京のカフェーの始まりといわれています。*1
「カフェ・プランタン」の維持会員には、森鴎外、永井荷風、高村光太郎、北原白秋、谷崎潤一郎らが名を連ねていました。*2
現在、この場所は、銀座8丁目並木通りの一角、額縁店となっています。*3

「カフェ・プランタン」開店の5ヶ月後の昭和44年8月、尾張町の角に「カフェーライオン」が開店し、30名の女給を置きました。女給サービスの始まりです。ただ、サービスといっても客席につくわけではなく、飲み物や料理を運ぶだけでした。*1
「カフェ・ライオン」は、銀座5丁目の角(現日産ギャラリー)にあり、後に、「銀座ライオン」(銀座7丁目で現在も営業中)となりました。*3

大正13年、「カフェ・ライオン」の筋向かいに「タイガー」が開店。銀座の2大カフェー時代が始まりました。「タイガー」は、関西商法を取り入れ、かなりのエロ・サービスをしました。すると、ライオンの女給たちも、負けじとエロ・サービスをしましたが、まじめな営業をしていた経営者は、客の膝に手を載せたり、膝に腰掛けたりした女給をどんどんクビにしてしまい、「ライオン」の女給は「タイガー」に鞍替えしてしまいました。「ライオン」は衰微し、永井荷風などは、「タイガー」に入り浸りになったといわれています。*1
「タイガー」の女給たちの中には、客からのチップの以外にこっそりと色を売る女もあったといわれ、永井荷風もそれにありついたようです。荷風のここでの経験は、昭和6年、名作「つゆのあとさき」に結実しました。「タイガー」があった場所は、現在は「ニューメルサ」の巨大なビルに変わっています。*3

その後、銀座2丁目に「カフェー黒猫」という上品なお色気のお店が出現しました。*1
「カフェー黒猫」は、廣津和郎の流行小説「女給」のモデルとなった小夜子という女給がいた店で、永井荷風も小夜子を見るために「カフェー黒猫」を訪れています。現在、「カフェー黒猫」があった場所には、「ティファニー&CO」がそびえたっています。*3

昭和3年頃から、銀座のカフェには、関西式のエロ戦術が持ち込まれました。*5
たとえば、「カフェ・ロシヤ」では、2階にプライベートルームを設け、中には長椅子があって内部から錠がおりるようになっていました。*4
「銀座解剖図」によると、「いわく××サービス、いわく五十銭曲芸、いわく××××、いわくポケット戦術、いく賭け事サービス、いわくスペシャル×××」と紹介されています。*5
「ポケット戦術」とは、和服の下はハダカで、その脇から乳や下半身を触らせることで、「スペシャル」とは、フェラチオのことだと言われています。*6
昭和初期の調査によると、警視庁管轄下のカフェーは、約6,000軒、バーが1,500軒、女給が15,000人でした。昭和4年9月から5年4月8ヶ月間に、警視庁管轄下のカフェで、営業停止が126軒、営業禁止が11軒あり、この頃、「カフェー黒猫」も問題を賑わしました。*4
【参考文献】
*1 福富太郎:昭和キャバレー秘史(1994,河出書房新社)P.18,P.47-P.48
*2 三枝進:銀座 街の物語(2006,河出書房新社)p.42
*3 竹馬絵子:荷風(Vol4,2005,日本文芸社) P.11-P.13「荷風の銀座を探すッ!」
*4 高橋桂二:物語・女市場P.140-P.141
*5 石角春之助:銀座解剖図(丸之内出版社,1934)P.297
*6 西本頑司:荷風(Vol4,2005,日本文芸社) P.48「如何にして銀座は『銀座の女』を作りたもうたのか?」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です