湯島天神下の旧花街は、春日通りをはさんで、南北に二分されていますが、その南半分の区画の真ん中200メートルばかりの路地は、「おばけ横丁」と呼ばれていました。このあたりは、花柳界華やかなりし頃、仕舞屋(しもたや)風の芸者置屋が軒を並べていました。「おばけ横丁」とは、一方(春日通りから北半分)に料亭や料理屋が立ち並んでいて賑やかだったことに比べての閑静さをいったものです。*1
全国芸妓芸妓屋同盟会があったあたり。湯島天神下(下谷)の花街は、東京でも最大規模の花街でした。*1
湯島天神下の花街は昭和30年頃まで全盛を極めましたが、以降はだんだんと客離れが目立つようになり、スナックなどに転業しました。
ピンサロやトルコ風呂などの風俗店も進出しましたが、長続きしなかったようです。*1
「湯島トルコ」があった場所*1 は、現在は、駐車場になっています。
【参考文献】
*1 神崎宣武:盛り場のフォークロア(河出書房新社,1987)P.77,P.96,P.141,P.221