八木宿(福居)から日光例幣使街道を3キロほど西へ歩くと、梁田宿の町並みがあります。
梁田宿は、八木宿とともに飯盛女で評判でした。*1
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梁田の町並みに入って200メートルほど行ったコンビニのセーブオンのところで、日光例幣使街道は、北東に方向を変えます。この角にある中山さん宅は、「今昔三道中独案内」の地図に記載されていますが、昔の遊女屋があったところで、かつては連子格子が目立つ建物がありました。*1
現在は建て換わっています。
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道が北東へ曲がってからも昔の面影を残している町並みが続きます。
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渡良瀬川の近く長福寺の前に梁田宿の案内板があります。梁田宿は戊辰戦争(梁田戦争)の舞台となりました。
梁田戦争は、中山道を進んだ官軍と幕軍との戦いで、幕軍が評判の飯盛女を相手に宴をはっていたところへ、官軍が急襲、幕軍は100名以上の死傷者を出して敗退しました。このときの幕軍の戦死者の碑が長福寺にあり、足利市の指定史跡となっています。*1
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【参考文献】
*1 今井金吾:今昔三道中独案内 新装版(JTB出版事業局,2004)P.168