コザ(照屋黒人街跡)米兵相手の水商売から始まりました。

今回は、コザ(沖縄県沖縄市)の町並みと風俗を散歩します。
1948年のリビー台風と1949年のグロリア台風により、在沖米軍は施設の約半分を失い、米国統合参謀本部は、沖縄基地を再建すべきか、フィリピンや日本本土に移転すべきか決断を迫られていました。最終的には、約500万ドル(平成10年の価値に換算して約7500億円)の巨費を投じて、沖縄に恒久基地を建設することが決定されました。戦後沖縄の主要企業は、1949年から1950年にかけて次々と設立され、コザを中心とする沖縄の中部地区には、職を求めてたくさんの人が集まり、コザは「基地の街」として急速に市街化されていきました。コザ十字路の南側に位置する照屋では、1950年頃から米兵相手の水商売が始まり、53年頃からは風俗営業が30軒ほど並び、照屋黒人街が成立しました。*1
「Koza ひと・まち・こと」の「歓楽街分布図」*2 によると、照屋黒人街は、現在の銀天街通りを南東に進んだあたりにありました。

銀天街通りを進み、緩やかな坂を登ったあたり。

かつて繁華街だった頃の雰囲気を伝えるスナックの建物が残っています。

「夜の蝶」という屋号の建物。

【参考文献】
*1 恩河尚:KOZA BUNKA BOX 1号(沖縄市企画部平和文化振興課,1998) P.25-P.30 「コザの時代を考える 台風によってつくられた街」
*2 沖縄市平和文化振興課:Koza ひと・まち・こと 写真がとらえた1970年前後 あなたが歴史の目撃者(沖縄市,1997)P.11 「歓楽街分布図(1960年頃)」

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