合戦場は、日光例幣使街道の宿場町で、合戦場という地名はその名の通り、戦国時代の大永3年(1533年)、宇都宮忠綱と栃木城主皆川宗成の軍が戦った場所です(川原田合戦)。宿場は500mほど続きますが、宿場時代は、飯盛り女が置かれている旅籠屋もありました。*1
天保10年(1839年)関東取締出役(別名“八州廻り”)の汚職事件にかかわり、合戦場宿の多数の旅籠屋などが検挙されるという事件がおきました。この事件は、もともとは、関東取締出役の内藤賢一郎という人が飯盛女にあてた恋文が露見したことから、合戦場宿福村屋太六が捕らえられたことに端を発したもので、当時評判となった事件でした。取調べにあたったのは、遠山左衛門尉景元(遠山の金さん)で、処分者は800余人に達し、八州廻りの黒い霧が一掃されました。*2
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合戦場の町並みを西に入った東武日光線沿いの一画は、昭和33年まで遊廓だった地です。宿場時代の飯盛女を集めて遊女屋とし、ここにまとめられました。*1
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玄関脇に丸窓があります。
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道路脇に祠がありました。
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【参考文献】
*1 今井金吾:今昔三道中独案内 新装版(JTB出版事業局,2004)P.175,P.178
*2 本間清利:日光街道繁昌記 補訂版(埼玉新聞社,1980)P.102-P.103