美保関の繁栄を物語るのが町並みを貫く青石畳通りです。 美保関では、ローカル船から上方の回船へ、またその逆の荷の積み替えが大量に行われました。(当時の荷物の運搬は大八車で行われていたたため)その作業を効率よく行うために石畳が敷かれました。*1
水に濡れると石畳は青く美しく光ります。
古い旅館の二階からは、三味線の音、女中の声、戦場のようなにぎやかさが、今でも聞こえてくるような気がします。*2
青石畳通りには、美保関にちなんだ文学の案内板があちこちに設置されています。司馬遼太郎さんの「街道をゆく」*3 の中に美保関が登場します。「美保神社の境内にのぼった。(中略)階段を降りて左側が、ふるい遊廓の通りである。」
美保関港は、帆船時代には、風待ち、潮待ちのために停泊する船が絶えませんでした。船宿では船員達が酒を酌みかわし、町には置屋業が出来て、遊女がたくさんいるようになりました。明治末期になると帆船は次第に減りましたが、代わりに汽船が運行され美保神社に参拝するお客が増えました。いわゆる「関まいり」のお客が多くなったのも芸者・娼妓がいたのが一因でした。*4
【参考文献】
*1 加藤貞仁:北前船(無明舎出版,2002)P.64-P.65
*2 美保関町教育委員会:島根半島散歩(美保関町教育委員会,1991)P.34
*3 司馬遼太郎:街道をゆく27 新装版(朝日新聞出版,2009)P.204
*4 美保関町老人クラブ連合会:ふるさとを語り継ぐ(美保関町老人クラブ連合会,1987)P.157-P.160