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瀬戸内町(ヤンチュの墓)膝素立之墓

奄美には、「ヤンチュ」と呼ばれる債務奴隷的な身分が存在していました。藩政時代のヤンチュの大量発生は、奄美の植民地的な黒糖専売制が原因でした。台風などによる不作で規定の上納ができない農民は自らの体を豪農に売ってヤンチュになりました。薩摩藩は、砂糖を増産して藩の財政を立て直すには、個別の百姓の尻を叩くよりは転落した農民を豪農に吸収させて大規模農業による増収を期待した方が得策と考えました。ヤンチュは薩摩藩の特異な農奴制でした。*1

ヤンチュ間で生まれた子は、膝素立(ひざすだち)といって、主家としては終生自分のヤンチュとして貴重な労働力にできるので、ヤンチュ同士の出産を奨励しました。瀬戸内町篠川に膝素立の墓があります。場所は、西古見から古仁屋を結ぶ県道と宇検村に通じる県道の「Tの字」の西古見の墓地です。*1

高さ30cmほどの小さな石碑に、「膝素立之墓」と彫られています。

墓石の側面には、「万徳 イシ イシ之子」と親子三人と思われる名前が刻んであります。*1

ヤンチュの性は、刹那的でした。貞操観念は比較的薄く、男女交際は自由で、夫婦と決めて子供がいてもたびたび夫を替え、妻を替えていました。「ただ性的享楽でしか人生の意義を感じられないヤンチュの生活環境は、やがて売春行為へと移行せざるを得ない。」と林蘇喜男さんは著作「奄美拾遺集」で述べています。女ヤンチュのなかには夜になると、百姓の若者や風待ちで滞船している砂糖積み船、密貿易船などの船員相手に春をひさいで米を得ようとする者もいて、春をひさいでいた女ヤンチュは明治になって「ヅレ(遊女)」に転落するものもいました。*1
【参考文献】
*1 名越護:奄美の債務奴隷ヤンチュ(南方新社,2006)P.35,P.67-P.68,P.85,P.98,P.101-P.103,P.198

タクソノミー(分類)

瀬戸内町

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