鴻之舞金山があった山あいの道路沿いに、「鴻之舞金山資料館」があります。資料館の建物は、廃屋同然だった上藻別駅逓(かみもべつえきてい)の建物を復活させたもので、2009年に国の登録有形文化財に指定されました。駅逓とは、開拓時代の北海道の特有の官設の宿泊施設で、郵便物の輸送の役割も持っていました。*1*2
館内には、当時の鴻之舞金山の様子がジオラマで再現されています。
芸者「金八」の展示。
鴻之舞からの交通路を遠軽路線か丸瀬布路線かのどちらを選ぶか問題になったとき、現地に派遣された調査官をあらゆる努力をはらってもてなしたのが「金八姐さん」でした。そして、道路誘致は丸瀬布に決まり、開通した道路の峠に金八峠とその名をつけることになりました。*2
住友鴻之舞鉱業所では鉱山街地域には風俗営業の出店を認めなかったため、鉱山街に隣接した民間の昭和区に11軒の遊廓をはじめ、第一館と呼ばれる劇場、遊技場、飲食店などが建ち、鉱山労働者にはなくてはならない存在になっていました。華やかになった昭和区は百戸を超えました。*2
泉町までが、鉱山街で、昭和区は、手前から1号、2号、3号…と名付けられ、繁華街は1号にありました。
【参考文献】
*1 黒沼秀一:鴻之舞北深く(黒沼秀一事務所,2012)P.32
*2 黒沼秀一:望郷の鴻之舞(黒沼秀一事務所,2012)P172,P.198,P.214