小川方面と黒山方面の三差路の道標※1にしたがってさらに進むと、梅林入口への分かれ道に着きます。

ここにも尾張屋三が建てた道標があります。*1
右 志かう道 二里
(正面)左 子ノ権現 三里廿九町
高山不動 二里半
左 大平山 三瀧 一里十五町
元治二乙丑歳 二月吉祥日
(裏面) 新井三平 建之
助力 当村中

この道標が、他の道標と異なる点は、「吉原講中」と書かれていない点です。
尾張屋三平は吉原でますます人気が高まった頃、吉原の講を率いて故郷に錦を飾るのを夢見ました。その道中は、華美をきわめ、吉原の花魁道中の再現とまでいわれましが、生家のすぐ前の梅林入口の道しるべには、新井三平と彫り、新吉原講中の名を除きました。豪気の三平も生家の真ん前に、新吉原講中、講元尾張屋三平では、後世角上、新井家の人々へ迷惑が掛かりはしないかとの配慮がなされました。*2

側面には、左 大平山と書かれています。
