平潟遊廓の形跡を残すものに、平潟神社があります。
九十九楼(後の三井家)の名前が刻まれています。
鶴宝菜の楼主、山田文蔵が狛犬を奉納しています。山田文蔵は、立石の農家の出身で、下肥を船で運んで来て、平潟遊廓で遊びを覚えて儲かることを知り、娼婦のおつるを囲い鶴宝菜の名で店を持ちました。*1
もう一つの狛犬は、逢菜家の鈴木亀右衛門が奉納していますが、鈴木亀右衛門は、娼妓が首を吊って死んだので、それを機に廃業しました。*1
【参考文献】
*1 渡邉幸三郎:昭和の松戸誌(崙書房出版,2005)P.39