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大森(料亭「梅元」)大森海岸三業地。明治26年開業。

gsi.go.jp/#18/35.585965/139.736657/&ba今回は、大森(東京都品川区)の町並みと風俗を散歩します。
大森海岸の芸妓屋は、明治26年5月に八幡橋際に開業した料理屋の伊勢原が隆盛し、魚栄、松浅、八幡楼等引き続き開店し、間もなく芸妓屋が開業したのが始まりでした。*1
現在八幡橋は無く、八幡橋があった場所は「八幡橋児童公園」になっています。

八幡橋の東側には、競艇場の「ボートレース平和島」が見えます。

八幡橋近くには、待合だった「梅元」の建物が現在も残っています。*2

現在は、オフィスビルが乱立するエリアになっています。

【参考文献】
*1 東京市大森区:大森区史(東京市大森区,1939)P.1138-P.1139
*2 上村敏彦:東京花街・粋な街(街と暮らし社,2008)P.220

「大森(料亭「梅元」)大森海岸三業地。明治26年開業。」への3件の返信

私はこの隣に住んでいました。
この写真以前は黒板塀で、もっと風情があったかな?
清元のお師匠さんが主で、奥さんがおかみ、その後お嬢さんがおかみをしていました。

前の川沿いの小道には、柳が2本、花柳界らしさがありましたね。

梅本は料亭ではなく、待合でしたよ!

古き良き?時代、懐かしく拝見しました。ありがとです。

はじめまして。懐かしい記事を見つけたのでコメントさせていただきます。むかし、梅元と同じエリアに「やなぎ」という料亭があり、親戚がそこの女将さんで、甥っ子にあたるウチの爺ちゃんがそこの支配人をしていました。元々は浅草雷門が作られる以前に浅草雷門の真横(向かって右側)に大きな料亭が戦前にあり、そこで支配人をしていましたが、戦争が始まり、雷門の右側エリアが焼け野はらになり、大森海岸にもあったもうひとつの店舗と統合した形にしたんだよ、と子供のころ、爺ちゃんから聞かされたことがありました。私が19歳の頃に亡くなりましたが、もしまだ生きていたら121歳か。うちの父親もそこで料理人をしていました。やなぎは埋め立てにより、立ち退かされて店を閉めたと聞いています。今度梅元さん付近も散歩してみるかな。

ノブさん、コメントありがとうございます。
現在の広い道路が通りいる風景からは想像も使いない情景ですね。
貴重なお話ありがとうございます。
唯一、「梅元」は昔の面影が残っている建物ですね。

コメントよろしくお願いします。