半田の最高級料亭は、明治時代から決まっていて、「三扇楼」と言われる「春扇楼末廣」、「古扇楼」、「福扇楼」でした。これらの店は明治13年の明治天皇の行幸(ぎょうこう)による陸軍大演習の時にもその御用を治め、料理はとびっきりで、芸者もお抱えで持っていました。*1
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現在は、「料理旅館末廣」となっていますが、昭和10年頃の「半田駅前商店街」*1 には、「春扇楼末廣」と記されています。
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鮮やかにベンガラ色に装飾された塀。
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北側の空き地からの遠望。
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【参考文献】
*1 片山市三:半田の轍(一粒社出版部,2008)P.19-P.24
「半田(料理旅館末廣)半田の最高級料亭。ベンガラ色に装飾された塀。」への2件の返信
>半田の最高級料亭は、明治時代から決まっていて、「三扇楼」と言われる>「春扇楼末廣」、「古扇楼」、「福扇楼」でした。
とありますが、半田市亀崎町の高台に客室を構える、「望洲楼」は、「三扇楼」とは別格の格式高き料亭なのでしょうか?
森さん、コメントありがとうございます。
半田の遊興街は山之神社周辺一帯(花街や遊廓が立地する場所は神社の周辺であることが多い)に由来しているようですが、望洲楼のホームページを見ると、「明治20年2月、天皇皇后両陛下が近隣の武豊での陸海軍の演習に行幸された際にお食事を担当」とあり、こちらは、格式の高い料亭だったのだと思います。