瀬棚遊廓は、明治27年に官許となり、大正12年頃の全盛期には、妓楼6軒、料理屋8軒で、一晩に200~300の標客が訪れました。*1
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当時、瀬棚の浜は鰊漁で賑わい、有数の漁場として、また利別平野の農産物の移輸出港として交通が発展しました。遊廓街の入口には、5~6寸の角材の門柱が両側に立てられ、上部に当時としては珍しいガス灯が点され、遊廓街特有の雰囲気がただよっていました。しかし、大正5年の豊漁を最後に次第に不漁となり、遊興業も衰退の道を辿り、昭和になると40年続いた貸座敷業は終焉を迎えました。*2
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遊廓の入口付近にあるサヨナラ橋。*2
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かつての遊廓通りは、現在ははまなす団地と民家が建ち並ぶ通りになっています。*3*4
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遊廓通りの南側からは、立像山の展望台*5 が見えます。
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【参考文献】
*1 川嶋康男:北風に遊女哀歌を聴いた(総北海ブックス,1983)P.25
*2 瀬棚町:瀬棚町史(瀬棚町史編纂委員会,1991)P.938,P.945-P.946
*3 林郁夫:懐かしの瀬棚旧地図 昭和9年頃の資料もとに書き起こし(林郁夫,2000)
*4 ゼンリン:北海道桧山支庁(ゼンリン,1991)P.54
*5 風俗散歩(瀬棚):立象山公園(2017.3)