浜松町駅の南側の金杉橋に、船宿が建ち並んでいる一画があります。
船宿の脇の路地。
屋形船の船着場。ここから隅田川方面へ向かう屋形船に乗船できます。
金杉橋から見る風景。江戸時代の情緒を感じる風景です。
浜松町駅の南側の金杉橋に、船宿が建ち並んでいる一画があります。
船宿の脇の路地。
屋形船の船着場。ここから隅田川方面へ向かう屋形船に乗船できます。
金杉橋から見る風景。江戸時代の情緒を感じる風景です。
浜松町駅の南側にある讃岐稲荷神社。
玉垣に、「新明三業組合」の名があります。
鶴田浩二、伴順三郎、などのスターが寄進した玉垣があります。
「銀座おそめ」は、川端康成、白州次郎、小津安二郎などの有名人らが集まる伝説のバーでした。マダムのおそめ(本名:上羽秀)は、元京都の芸妓で、小説のモデルにもなりました。*1
【参考文献】
*1 石井妙子:おそめ(新潮社,2009)
芝大神宮の前の通りの1本東側の通り。
ここにも、芝神明の料亭街がありました。*1
道路を隔てた南側の芝大門2丁目にも料亭が点在していました。*1
料亭が建ち並んでいた路地。*1
【参考文献】
*1 都市整図社:火災保険特殊地図 港区芝浜松町・東京湾口方面(1951~1961)
芝大神宮の境内は都内随一の盛り場があった場所で、江戸時代は、芝海老芸者と呼ばれていました。*1
芝大神宮の前の通りの両側には料亭が並び、写真の左奥に神明三業組合がありました。*2*3
料亭だった建物。
黒板塀に囲まれた木造の建物。かつての花街の雰囲気が残っています。
神明三業組合があったあたり。
【参考文献】
*1 加藤藤吉:日本花街志(四季社,1956)P.332-P.333
*2 上村敏彦:東京花街・粋な街(街と暮らし社,2008)P.210-212
*3 都市整図社:火災保険特殊地図 港区芝浜松町・東京湾口方面(1951~1961)
今回は、浜松町(東京都港区)の町並みと風俗を散歩します。
浜松町駅の山手線外回り・京浜東北線南行ホーム(3・4番線ホーム)の田町寄りに小便小僧があります。
小便小僧に着せられている衣装は毎月着せかえられます。5月は鯉のぼりと金太郎の衣装です。
小便小僧の由来は、こちらの石碑の通りです。
発車(発射)オーライ。
水前寺公園は、肥後藩主細川家によって筑造されました熊本の名所です。入口には、公園を境内とする出水神社の鳥居があって、ここから公園の入口までが参道になっています。
参道の両側には、土産物店が並んでいます。
鳥居に一番近い場所の土産物店で、熊本名物の「肥後ずいき」が販売されています。
肥後ずいきは、蓮芋(はすいも)の茎を乾燥させた性具です。雁首から陰茎へかけて刀の柄を巻くように交互にまきつけることにより、男根を太くさせ、摩擦面を複雑にして刺激を強化するとともに、芋茎の成分が膣内にかゆみを与え、快感を喚起させます。*1
「肥後ずいき」については、江戸時代、正徳3(1713年)年の絵入り百科事典「和漢三才図会」に記述があり、「食品としても美味であるが、さらに『壮夫以て春意の用と為す』(「壮夫」とは成人の男子の意味で、「春意の用」とは、閨房(性行為)用のこと)」と紹介されています。*2
販売されている商品は、①棒状に成型されたもの、②棒状に成形する前の茎の状態のもの、③キャップ状に編み上げられたものなどがあって、①と③の詰め合わせが4500円、②と③の詰め合わせが3000円です。他に肥後ずいきの成分を抽出したクリーム(2100円)が販売されています。
※撮影と掲載については店主の了解を頂きました。
今回は入門用として、クリームの「瑞喜の華」を購入。
箱を開けるとチューブの「瑞喜の華」が入っていて、「ホカク用 革製品に使用すれば一段と若返り艶が出てきます。医療用、化粧品には使用しないでください。」と書いた説明書きが添えられています。
熊本のゆるキャラ「熊もん」と一緒に記念撮影。
【参考文献】
*1 渡辺信一郎:江戸の閨房術(新潮社,2005)P.216-P.218
*2 蕣露庵主人:秘薬秘具事典(三樹書房,2003)P.237-P.244
熊本市の北東部に位置する子飼(こかい)商店街。
歌手の水前寺清子さんの出身地です。
昔ながらの商店街です。
上野のアメ横に似た雰囲気の商店街です。
河原町にある繊維問屋街。
繊維問屋街の入口。
昭和に建てられた問屋街がそのままの姿で残っています。
学生服の看板。
熊本市街を流れる白川の旧二本木遊廓近くにかかる世案橋(またの名を思案橋と言います)は、色っぽい物語に富んだ橋です。
この橋は、大門から練りこんでは知ったものに出会うという懸念から、白川の渡し船から登楼する遊客が増え、この橋がかけられました。
世安橋は、二本木遊廓とは切っても切れぬゆかりの橋となりました。
「ゆこか二本木戻ろか下宿ここが思案の思案橋」という唄さえ出来ました。
【参考文献】
*1 豊福一喜:熊本夜話(九州新聞社出版部,1929)P.179-P.181
今回は、熊本(熊本県熊本市)の町並みと風俗を散歩します。
旧二本木遊廓の東雲楼跡を過ぎると、モダンな建物が現れます。*1
1階部分は、店舗になっています。
2階には、アーチ型の窓が並んでいます。
タイルの装飾。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.59
国道10号線沿いの「なかよし公園」の東側にラブホテル街があります。別府の繁華街からは約1kmの距離です。
ラブホテル街の向こう側(東側)は海(別府湾)です。
海を望む露天風呂のあるホテルもあるようです。
写真の右側が海、左側がラブホテル街です。
別府市元町の繁華街「梅園通り」に梅園温泉の入口があります。繁華街のど真ん中という独特な立地の路地裏温泉です。
人ひとりがやっと通れるほどの狭い路地を進みます。
スナックのママさんがはいるため、夜0時まであいています。(案内看板より)
脱衣所と円型の浴槽が隣合わせになっていて、浴槽の隅には湯槽があって源泉がボコボコと音を立てて出ています。浴槽のお湯は熱めですので、体が温まります。
温泉街の成人映画館。
別府南映劇場。温泉街に溶け込んでいます。
3本立てで、料金は1500円です。
夜になると、人通りが増えて賑やかになります。
元町の竹瓦温泉近くの風俗街には、風俗無料案内所があちこちにあります。
別府温泉のシンボル的な存在の竹瓦温泉。多くの観光客で賑わっていますが、すぐ隣に風俗案内所があります。
ソープ・ヘルス専門の案内所。
夜の案内所。
別府の栄町の銀座裏通り。緩やかなカーブを描いて幅の狭い路地が続きます。
昭和30年代、別府温泉には、7,000人のホステスがいて、情こまやかな接客ぶりは評判でした。中でも意にかなったホステスを自由に選択できる「セレクト喫茶」なるバーが人気で、銀座裏通りや柳町のバー街にありました。*1
現在は、居酒屋やスナックとファッションヘルスなどの風俗店が混在する通りになっています。
新宮通りに近いあたり。
【参考文献】
*1 J.F.モンゴメリ:夜のニッポン探検(東都書房,1967)P.108-P.119
今回は、別府(大分県別府市)の町並みと風俗を散歩します。別府駅の北東側に位置する北部旅館街(仲間通り)は古くからの旅館が現在も営業中です。
そのうちの1軒、すずめ旅館は、宿泊(素泊まり)2500円です。看板には、「御泊り」の他に「御休憩」もあります。昔は、休憩のみの利用もできたのだと思います。
豪華なソファーと大きなダブルベッド。艶っぽい雰囲気の調度品など歴史を感じさせる旅館です。
夜になると、別府タワーのネオンが望めます。
田の浦は、江戸時代、風待ちの港として栄え、色街があり、付近に遊女の墓がありました。案内板に記載されている遊女の墓は、おそらく、現在は地蔵寺に移転されたものと思われます。
天神社大明神は、菅原道真が九州で初めて上陸した所に、鳥居が建てられたと伝えられるものです。
鳥居には、「文政5年(1822年)正月吉日と彫られ、永文字屋内真砂が寄進したと残されています。
永文字屋は当時の遊女屋の屋号と思われますが、鳥居の文字は判読困難なほど風化していて、かすかに、”真砂”の文字だけが読み取れます。
門司市街は、格子状に整然と区画されているのが特徴ですが、例外的に昔のままの小路が残っている場所があります。栄小路はその一つで、小路への入口はY字路のようになっています。
栄小路は、中央部分で大きくカーブしています。
バー、居酒屋などのが建ち並んでいます。
栄小路がカーブしているところにあるスタンドバー「直湖」。
現在、地蔵寺にある遊女の墓は、バー「直湖」の女性経営者が、田の浦にあった遊女の墓の見捨てられたような状態を悲しみ、地蔵寺の住職に頼んで墓を移設してもらったものです。*1
【参考文献】
*1 羽原清雅:「門司港」発展と栄光の軌跡(書肆侃侃房,2011)P.352
門司市街庄司町の高台にある地蔵寺。
江戸時代、門司の風待ちの港として繁栄した田の浦には、色街がありました。田の浦の真楽寺と聖山に遊女たちの墓がありましたが、現在は地蔵寺に移されています。*1
1753年から1839年までの5基の墓があります。*1
地蔵寺からは、門司市街が見渡せます。江戸時代に遊里があった田の浦は、関門橋(写真右奥)の向こう側です。
【参考文献】
*1 羽原清雅:「門司港」発展と栄光の軌跡(書肆侃侃房,2011)P.352
門司区栄町にある大衆中華料理店「朋友」の建物。
郷愁を感じさせる1階部分の看板。
1つの木造母屋に複数の店舗が入居していたようです。
いろいろな看板が取り付けれられていて、当時の賑やかさが伝わってくるようです。
住宅街の中にスナック、銭湯などが点在する旧カフェー街。
理容室「良美軒」の建物。
玄関部分は緑色のタイルで装飾されています。
木製の窓枠がいい感じです。
あずま通りの中ほどに、銭湯の日の出浴場があります。
こじんまりとした暖簾が郷愁を誘います。
玄関部分には、宝船のタイル絵があります。
裏側から見た銭湯の建物の全景。
旧カフェー街の路地裏に青いタイルが残っています。*1
建物の側面のかなり広い面積が全体が鮮やかなタイルで覆われています。
庇部分の下側は色の異なるタイルが使用されています。
こちらの部分は、薄い黄色のタイルです。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,2007)P.73
旧カフェー街のメインの通りだったあずま通りの入口。ここには、数年前まで飲み屋街の入口を示すアーチがありました。*1
現在アーチは、撤去されていますが、電柱のすぐ後ろにアーチのものと思われる支柱の跡が残っています。
現在は、住宅街となっていますが、1軒だけ歓楽街の痕跡と思われるスナックがあります。看板には、「AMERICAMS WELCOME」と書かれています。
カフェー街の東端。もう一つのアーチがあったと思われる場所から。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,2007)P.73
今回は、安浦(神奈川県横須賀市安浦町)の町並みと風俗を散歩します。
安浦神社を取り囲む玉垣。この玉垣に、かつての安浦のカフェーの屋号が刻まれています。
「甲子」、「日吉家」、「花の家」、「八千草」は、いずれも「特殊風俗業態(安浦カフェー街)分布図」*1 で確認できる屋号です。
「水明」はカフェー街の中ほどの海寄りの場所に、「蝶々」は北西端にありました。*1
【参考文献】
*1 横須賀警察署史発行委員会:横須賀警察署史(横須賀警察署,1977)P.121-P.150
「特殊風俗業態(安浦カフェー街)分布図」(P.123)をみると、北西側から南東側に向かって、蝶々、朝日、信濃家、久喜、みさき、みそら、田丸家、立花家、初音、浦島、岡本、浜の家、紅葉、みどり、吉野家、水明、甲子、羽衣、小島家、竹吉、千久代、川栄、松竹、花の家、菊の家、岡島家、春の家、八千草、笹本、富久実、清月、新駒、日吉家、双葉、武本、利久、三松、一松、みその、川柳、高砂、三浦家、花月、などの屋号が確認できます。