安来市誌編さん委員会: 安来市誌 (安来市,1970)

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戦前の商業
江戸時代から明治まで安来の商人には度胸と根性と信用で豪商を営むものが多く、さらに、山陰唯一の良港安来港が全盛を迎えることになる。
安来検番は、大正年間、関係者からの出資を募り、当時の資本金としては驚く程の金額5万円でスタートを切っている。この検番の芸妓は、美人揃いで人数も常に三十人位を欠かず、随分と町の料亭が賑わっている。当時としては、皆生温泉も今のような姿ではなく、松原の中に四、五軒の民家風のものがあtt程度で、米子町にも料亭等が少ないところから、米子周辺からのお客で持切りであったとか。古い料亭旅館では、錦海楼、浜屋、検番が繁盛すると同時に山常楼、ひさご家など数多く出現しているようである。特に、ひさご家の大広間、山常楼二階の大広間は何れも昭和初年の新築であってステージ付きといった豪勢なもの、戦前にあってこのような大広間は全国的にも珍ししく、かつての日産コンツェルン総師の鮎川義介はこれを称して安来屋七不思議の一つと評されている。