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第三編 明治以後の月島
第八章 月島の商業 リンク
P.191 日露戦争に因る軍需工業の躍進に伴って月島全島の好況と人口の増加を招来せしものと考えられる。 西仲通り一及至五丁目は、月島通の裏通りとして自然商家軒を並べ商店街たるの態容を備えるに至ったものである。月島西仲通り商店街の発展に先駆して活躍し連綿今日に至れるもに「露天商」がある。交通不便を極めたる填築初期に於いては、有力なる商人の発達はなく商品の供給をせしものは、主として露店商人であった。 P.197 明治39年頃、西仲通りに出る露天商が25~26人になり、内店の前に並んで店を出していたが、内店の邪魔をするようになったので、時の署長が「真ん中へだしたら良かろう」ということを言い出し、夜店が道の真ん中で出るようになった。

この文献を参照している記事

築地(和風スナック)沢の鶴の看板。月島三丁目。
築地(西仲通り商店街)明治時代の埋め立て工事により出来上がった町。