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浦賀に上陸して酒を飲む

咸臨丸かんりんまるの出帆は万延元年の正月で、品川沖を出てず浦賀にいった。同時に日本から亜米利加アメリカに使節がたっくので、亜米利加からその使節の迎船むかいせんが来た。ポーハタンとうその軍艦にのって行くのであるが、そのポーハタンはあとから来ることになって、咸臨丸は先に出帆して先ず浦賀にとまった。浦賀に居て面白い事がある。船に乗組のりくんで居る人は皆若い人で、もうれが日本の訣別おわかれであるから浦賀に上陸して酒を飲もうではないかといいした者がある。いずれも同説で、れからおかあがって茶屋見たような処に行て、散々さんざん酒をのんでサア船に帰ると云う時に、誠に手癖てくせの悪い話で、その茶屋の廊下の棚の上に嗽茶椀うがいぢゃわんが一つあった、れは船の中で役に立ちそうな物だとおもって、一寸ちょいと私がそれぬすんで来た。その時は冬の事で、サア出帆した所が大嵐おおあらし、毎日々々の大嵐、なか/\茶椀にめしもって本式にべるなんと云うことは容易な事ではない。所が私の盗だ嗽茶椀が役に立て、その中に一杯飯を入れて、その上に汁でも何でも皆掛けて、たっう。誠に世話のない話で、大層たいそう便利を得て、亜米利加アメリカまで行て、帰りの航海中も毎日用いて、到頭とうとう日本までもっかえって、久しく私の家にゴロチャラして居た。程経ほどへて聞けばその浦賀で上陸して飲食のみくいした処は遊女屋だとう。れはその当時私は知らなかったが、そうして見るとの大きな茶椀は女郎の嗽茶椀うがいぢゃわんであったろう。思えばきたないようだが、航海中は誠に調法、唯一ゆいいち宝物たからものであったのが可笑おかしい。