新橋(ニュー新橋ビル)闇市跡にできた雑居ビル。

今回は、新橋(東京都港区)の町並みと風俗を散歩します。
JR新橋駅の西口には、ニュー新橋ビルという巨大な雑居ビルが存在します。ここには、かつて1960年代まで、闇市に起源を持つ東京でも最大規模のバラック飲み屋街が存在しましたが、1961年から71年にかけて市街地改造法に基づく再開発が行われ、ニュー新橋ビルが誕生しました。*1

ビル内には、間口の狭い飲食店やチケットショップが立ち並んでいます。

2階の商店街には、マッサージ店やアダルトビデオショップ、ファッションヘルスなどが建ち並びます。
ニュー新橋ビルができる前にあったバラック飲み屋街は、一般飲食店159軒の他、風俗店(バー、キャバレー、スナックなど)が66軒と飲食・娯楽関係の業態が大半を占めていました。*1
現在も当時のバラック飲み屋街の業態を継承していると言えそうです。

2階には、マッサージ店が乱立しています。店員のほとんどはアジア系です。

【参考文献】
*1 初田香成:都市の戦後(東京大学出版会,2011)P.361-P.383

参考文献

参考記事

玉名(元湯通り)映画の看板が商店のいたるところに。

温泉大通りから東へ一本入った元湯通り。

現在は商店街となっていますが、映画の看板が商店のいたるところに貼られています。

三船敏郎、石原裕次郎、マリリン・モンロー主演の映画看板。

美容室に飾られたローマの休日の看板。

参考文献

参考記事

若松(ゑびす市場)市場が集まる一画。歴史を感じるトタンの建物。

若松区浜町には、ゑびす市場、丸仁市場、大黒市場、共栄市場など、いくつかの市場が集まる一画があります。その中の一つ「ゑびす市場」。

市場の建物は大きく、奥行もあります。

新鮮な野菜や魚介類が並びます。

歴史を感じるトタンの建物(市場の建物を横から見たところです)。

参考文献

参考記事

高岡(高岡駅前ビル内部)環状に配置された建物。

高岡駅前ビルの内部は、まさに異空間そのものです。
建物は、環状に配置され、共用の廊下や通路、階段が設置されています。

1階と地下1階を結ぶ通称「丸階段」。

地下まで達する吹き抜けの共同の中庭が設けられ、地下1階は飲食街になっています。

中庭は、地階店舗の利用価値や2、3階の住宅部分の住環境を高める効果をもたらしていて、中庭は、駅の地下街ともつながっています。*1

【参考文献】
*1 初田香成:都市の戦後(東京大学出版会,2011)P.285-P.286

参考文献

参考記事

高岡(高岡駅前ビル外観)昭和の香りが色濃く残っている数少ない建物の一つ。

今回は、高岡(富山県高岡市)の町並みと風俗を散歩します。
近年、再開発が進む高岡駅周辺ですが、その中で、高岡駅前ビルは、昭和の香りが色濃く残っている数少ない建物の一つです。地下及び1階は、商店、飲食店、理容室などの商業施設が入居し、2階と3階は居住スペースになっています。

1952年に制定された耐火建築促進法により、全国の都市中心部で防火建築帯が建設され、これらは「商店街共同建築」と呼ばれました。「高岡駅前ビル」は、1962年に建設された「商店街共同建築」で、街区全体を再開発する手法として、当時大きな注目を浴びました。*1

共同の通路の入口にある鳥居。

ビルの中に通路の途中に稲荷神社があります。その向こう側(ピンク色の壁面のところ)は風俗店(ピンサロ)です。

【参考文献】
*1 初田香成:都市の戦後(東京大学出版会,2011)P.253,P.285-P.286

参考文献

参考記事

荻窪(荻窪銀座街)風情のある手書きの案内板。

今回は、荻窪(東京都杉並区)の町並みと風俗を散歩します。
JR荻窪駅の北口を出ですぐのところに、「荻窪銀座」商店街があります。
荻窪銀座商店街は戦後いち早く商店会を結成し、結成されたばかりの商店街は、バラック建てのマーケットでガスも水道もなく食する事も困難な時代でした。*1

入口には、風情のある手書きの案内板があります。店の屋号だけでなく、共同井戸や共同トイレの位置までが記されています。

居酒屋などが密集する味わいのある路地。

もう一本、隣の路地。

【参考URL】
*1 荻窪銀座商店街:公式ホームページ

参考文献

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日暮里(繊維問屋街)コスプレ人気で活況を呈しています。

JR日暮里駅前の放射11号線から三河島通り(尾竹橋通り)に交差する付近までの日暮里中央通りの両側は、日暮里繊維問屋街と呼ばれ、ここは、大正から昭和初期にかけて「東の日暮里、西の吹田」と呼ばれた繊維ウエイスト工業の中心地でした。繊維ウエイスト工業というのは、古繊維、つまりボロ繊維を専門に集めて加工し再製品化するリサイクル業のことで、再生工場はそのまま問屋としての機能を持っていました。最近のヤングたちの古着志向はリサイクルへの希望と言えます。*1
さらに、近年のコスプレ人気により、コスプレ用素材を専門に扱う店も現れ、秋葉原から近いこともあり、活況を呈しています。下の写真は、ステージ衣装やよさこい衣装などを専門に扱う「奥山」さんです。

日暮里駅前の店。

日暮里繊維問屋街は学生やミセスが足しげく通う町です。

ダンス用衣装専門の店もあり、艶めかしい雰囲気が漂います(西日暮里にて)。

【参考文献】
*1 婦人画報社:のぞいてみたい東京の六大問屋街(婦人画報社,1998)P.25-P.34

参考文献

参考記事

浅草(浅草地下街)700円の理髪店。昭和の匂いの残る地下街。

東武浅草駅前に、地下街への入口があります。

昭和の匂いの残る地下街。居酒屋や占いの店などが並んでいます。

700円の理髪店。

アダルトビデオもあります。

参考文献

参考記事

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浅草(福ちゃん)浅草地下商店街。目玉焼トッピング。

草津(ばんから横丁)昭和30年代の草津の駅前の町並みを再現。

駅前のビルの地下1階に飲食街の「ばんから横丁」があります。

「ばんから横丁」は、昭和30年代の草津の駅前の町並みを再現した飲食街で、あちこちに配置された看板や電柱などの小物は当時のホンモノを使用しています。(案内板より)

スタンド、居酒屋、スナックなどがリアルに再現されています。

「女中さん急募、住み込み優遇します」と書かれた貼り紙。

参考文献

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新世界(ホテル王将)将棋クラブが建ち並ぶ将棋のメッカ。

「王将」の歌で有名な将棋の坂田三吉ゆかりの「ジャンジャン横丁」は、「将棋クラブ」が建ち並ぶ将棋のメッカです。
「ジャンジャン横丁」から、東側に路地を入ると、そこには「餃子の王将」..ではなくて「ホテルの王将」があります。

入口にはタイルの円柱。

2階部分の豪華な装飾。

屋上にはレトロなネオン広告塔が残されています。

参考文献

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天王寺( 阪和商店街)天王寺駅前の昭和の闇市の雰囲気。

天王寺駅前商店街から東に、昭和の闇市の雰囲気の残る商店街があります。

路地は2筋あって、回遊することができます。

2筋の路地を横断する通路。

ビール会社のイメージガールのポスターが貼られています。

参考文献

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戸塚(スナック街)商店街の中心部の四つ角付近。。

遊廓があったサクラス戸塚付近を矢沢方面へ進むと、商店街の中心部です。スナックが数軒あります。

四つ角付近。

5軒のスナックや居酒屋が住宅街のの中に散在しています。

商店街から遊廓があった方向を見たところ。

参考文献

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長崎丸山(銅座市場)通り抜けられません。

思案橋横丁の西端。銅座川が交差します。

銅座川の上に建つ銅座市場。隣には案内所の大看板。

銅座市場の看板。

本日は定休日でした。通り抜けられません。

参考文献

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宮崎(食品市場)昭和の雰囲気が残ります。

上野町のソープラド街に隣接して、昭和の雰囲気の残る食品市場があります。

下町の雰囲気のある景観です。

食品市場「ショッピングセンター『青空』」の入口。

食品店が建ち並びます。

参考文献

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宮崎(中央通り)派手なネオン看板。東国原元知事。

今回は宮崎(宮崎県宮崎市)の町並みと風俗を散歩します。

宮崎といえば東国原元知事です。

中央通りは、宮崎市街の中心部に位置する繁華街です。昼間は閑散としてますが、夜になると活気を帯びてきます。

派手なネオン看板

参考文献

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戸部(岩亀横丁)「がんき」の屋号を持つ寿司屋、サウナ。

今回は、戸部(横浜市中区)の町並みと風俗を散歩します。
戸部4丁目交差点から西へ延びる通りは、岩亀(がんき)横丁と呼ばれています。

通りには、「岩亀横丁」と書かれた看板が並び、「岩亀寿司本店」という名の店もあります。

サウナがんき。

「岩亀横丁」の名前の由来は、この「岩亀稲荷」の存在と関係があります。

参考文献

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南千住(三ノ輪商店街)荒川区随一の大商店街。

今回は、南千住(東京都荒川区)の町並みと風俗を散歩します。
 都電荒川線の終点の三ノ輪駅と国道6号線にの間に立つ梅沢写真館(旧王電ビル)に三ノ輪橋商店街(ジョイフル三ノ輪)の入口があります*1

建物の1階部分をトンネル状にくりぬくようにして商店街が続いています。

アーケードの入口。

 ジョイフル三ノ輪は、荒川区随一の大商店街で。そのアーケードは、総長465mで、約130軒の商店がひしめきます。*1

【参考文献】
*1 交通新聞社:散歩の達人(2204.2)P.10-P.11

参考文献

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港陽園(港新世界商店街)看板だけが残っています。

今回は、港陽園(名古屋市港区)の町並みと風俗を散歩します。
地下鉄名城線の築地口駅を下車し、しばらく行くと「港新世界商店街」のアーチが見えてきます。*1

商店街といっても、商店らしい町並みはほとんど残っていません。

しばらく行くとロータリーがある場所に行きつきます。

「港新世界商店街」と書かれた大きな看板だけが残っています。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.100-P.101

参考文献

参考記事

岐阜(新栄町)国際園跡の南側。お茶漬け屋さんの建物。

国際園跡の南側の新栄町。すぐ近くは岐阜駅前の大通りです。

お茶漬け屋さんの建物。

ここも何かの商店だったのでしょうか。

長屋風の建物。角の穴あきブロック塀がアクセントになっています。

参考文献

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岐阜(問屋街)商店街から突き出た看板。岐阜駅北側。

今回は、岐阜(岐阜県岐阜市)の町並みと風俗を散歩します。
岐阜駅北側の問屋町は、看板が重なる通りが続きます。

商店街から突き出た看板。

シンプルな「3丁目」の看板。

問屋町の遠望。古い町並みです。

参考文献

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新橋(新橋方面近道)ガード下の異次元空間。

JRのガード下を有楽町から新橋駅へ向かう途中に、「新橋近道」と書かれた入口があります。

暗い地下道のようなガード下の通路が延々と続きます。

所々に、このような店舗があります。

階段を登ると、2階にも同じような通路が続いています。

参考文献

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新橋(ガード下ビルの中の公衆トイレ)階段脇。女性専用。

京橋(レトロな商店街)戦前の看板建築がひっそりと残る一画。

地下鉄八丁堀駅近く。ビル街の中に戦前の看板建築がひっそりと残る一画があります。写真の一番右側の建物は、旧神田美容院の建物です。*1

路地の入口。

銅板建築の建物。

都会のど真ん中にして、この石畳の路地。自販機の安室奈美恵さんのポスターとのアンバランスが何ともいえません。国旗掲揚塔があります。

【参考文献】
*1 佐藤洋一,武揚堂編集部:あの日の日本橋(武揚堂,2007)「火災保険特殊地図」

参考文献

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白山(仲通り商店街)かつての銘酒屋があったあたり。

樋口一葉の住まいがあった白山通りを横切ると、柳町仲通り商店街に入ります。

一葉の住まいからこのあたりまでの一帯は、銘酒屋と称する私娼宿が並ぶ色町でした。一葉の「にごりえ」は、この銘酒屋を舞台とした小説で、「空壜(あきびん)か何か知らず、銘酒あまた棚の上にならべて・・・」と銘酒屋のことが描写されています。1
銘酒屋とは、酒を並べてはいるものの店の奥や2階で娼婦たちが客を遊ばせ、春をひさぐ場所。そんな女たちが一葉に手紙の代筆を頼みにくるようになりました。
2
一葉日記「しのぶぐさに、次のような一節があります。*1
「となりに酒うる家あり 女子あまた居て客のとぎ(伽)をする事うたひめのごとく遊びめに似たり つねに文かきて給われとて わがもとに来る」

昔、デパートの屋上遊園地などにあった乗り物が何台も並んでいて、楽しそうな商店街です。

商店街の周囲は開発が進んで、高層マンションが間近にせまっています。

【参考文献】
*1 槐一男:一葉の面影を歩く(大月書店,1995)P.84-P.89
*2 野口碩:樋口一葉と歩く明治・東京(小学館,2004)P.55

参考文献

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長町(長町マーケット)古いアーケード。ハートのマークの看板。

2番街の隣に、長町マーケットのアーチがあります。
戦後から昭和30年代まで、現在の2番街を含めた範囲が長町マーケットでした。近くには、青果市場があって、町の人と農家の人で賑わいました。

アーチをくぐると、古いアーケードが続いています。

「商」の1文字だけが残っています。

アーケード内部。ハートのマークの看板

参考文献

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仙台(壱弐参横丁)戦後の公設中央市場が原形。

今回は仙台(宮城県仙台市)の町並みと風俗を散歩します。
仙台市街の中心に、壱弐参(いろは)横丁があります。

壱弐参横丁の原形は、太平洋戦争の終戦直後、路上に現れたバラック商店や露天の集合体、すなわち、戦後の闇市です。平行する2本の路地を中心に、細い路地が入り組んで迷路状に広がって、狭い店がびっしりと並んでいます。*1*2

壱弐参横丁は、昭和21年、戦後の仙台市の公設中央市場として誕生したマーケットが原形です。*1
近年は、壱弐参横丁を活性化する動きがあって、案内図などが整備されています。案内図の隣に、「中央市場」と書かれた当時のものと思われる看板があります。

増改築をくり返した結果、約40棟の戸建ての店舗や長屋の集合体となりました。トタン屋根に混沌の歴史がにじんでいます。*1

【参考文献】
*1 藤木TDC:昭和幻景(ミリオン出版,2009)P.128-P.131
【参考URL】
*2 NPO法人まちづくりcom:ふれあい百店街・壱弐参(いろは)横丁

参考文献

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松阪(継松寺商店街)2階建ての長屋。めし。大衆食堂。

松阪駅の北西にある岡寺山継松寺。*1
北側の通用門の両側に古い商店街があります。

トタン建築の商店街が延々と続きます。

2階建ての長屋の建物。

めし。大衆食堂。

【参考URL】
*1 岡寺山継松寺:公式ホームページ「寺院概要・地図

参考文献

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大久保(外国人OKの看板)大久保は外国人の町です。

90年代、大久保は急増する外国人アパート需要と多発するトラブルで、外国人を受け入れるアパートは限定されていましたが、現在は外国人を歓迎する町に生まれ変わっています。町のあちこちに、「外国人OK」の看板があります。*1

不動産会社にとって、外国人はお客様です。*1

教科書会社が入っているビルの2階にある外国人OKの歯科医院。

外国人OKのワンルームマンション。

【参考文献】
*1 稲葉佳子:オオクボ都市の力(学芸出版社,2008)P.55,P.69

参考文献

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朝霞(南栄通りの氷屋)キャバレーに氷を卸していました。

かつての南栄通りには、バーやキャバレーが約70軒ありました。通りの中央部に、1949年に開店した魚屋「魚太」は、南栄通りあったすべてのバー、キャバレーに氷を卸していました。*1

現在、その魚屋「魚太」はありませんが、その名残と思われる商店があります。

レトロな雰囲気の店構え。

ゲームと氷の店です。

【参考文献】
*1 中條克俊:君たちに伝えたい朝霞、そこは基地の街だった。(梨の木舎,2006)P.92-P.94

参考文献

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洞川(下渕マーケット)味わい深いアーケード。下市口駅に近く。

近鉄線下市口駅に近い商店街に、古い小路があります。小路の入口では居酒屋の店舗が営業中です。

この一画は「下渕マーケット」と呼ばれていたようです。薄暗いアーケードになっていて奥へ続いています。ほとんどの店舗は休業中のようです。

味わい深いアーケード。

小路はL字型に曲がって、もう一方の出口とつながっています。

参考文献

参考記事

玉島(天満町)曲がりくねった道路。天満町公会堂の建物。

玉島市街の南側に位置する天満町の町並みは、曲がりくねった道路が続いて、とてもミステリアスです。*1

道が回っているので、何が出てくるかわからない感じです。

旅館か料亭として使われていたのでしょうか。

天満町公会堂の建物。「堂會公」と書かれています。


【参考文献】
*1 虫明徳二:歴史散歩玉島町並み保存地区(虫明徳二,2007)P.77-P.78

参考文献

参考記事

玉島(通町商店街)ノスタルジックな世界。パチンコ「思ひで」。

昭和30年代を題材にしたノスタルジックな映画「ALWAYS三丁目の夕日」の撮影が行われたその事実がしめすとおり、玉島はどこか懐かしい風景、心地よい生活感が漂っています。港水門がある場所からすぐ目につくのが通町商店街の入口です。左側にはパチンコ屋さんだった看板「パチンコ」「思ひで」があります。*1

古い商店の建物が並んでいます。

中華食堂だった建物。

理容室、仏具店。

【参考文献】
*1 小野敏也:玉島界隈ぶらり散策(日本文教出版,2007)P.130

参考文献

参考記事

西新井(関原銀座)鋭角の建物のパーマ屋さん。

今回は、西新井(東京都足立区)の町並みと風俗を散歩します。
関原は、西新井駅の南側の地域で、関原銀座会などの商店街があります。

関原銀座会の商店街にある鋭角の建物のパーマ屋さん。現役で営業中です。

モダンなデザインの理容室。

関原二丁目。

参考文献

参考記事

生玉町(空堀商店街)表札をまとめて掲げている歌舞伎門。

空堀商店街は、谷町六丁目の上町筋から谷町筋を経て松屋町筋にいたる東西800mに連なる、まさに都心の商店街です。「空堀」の地名の由来は、この東西の通りが豊臣秀吉が築造した大阪城の三の丸の外堀であり、慶長19年(1614年)の大阪冬の陣の後に徳川方に埋められてしまい、空堀になったことからきています。幸いにも昭和20年の大阪大空襲からは奇跡的に逃れたたため、現在も戦前からの町並みや暮らしが受け継がれています。*1

一見、何の変哲もない住宅街ですが...。

よく見ると、家と家の間に路地の入口(歌舞伎門)があります。*1*2

路地の住人の表札をまとめて掲げてあります。「石丸会」は、路地組合の名前です。*1*2

【参考文献】
*1 栗本智代:大阪まちブランド探訪(創元社,2006)P.10-P.11
*2 橋爪紳也:大阪新・長屋暮らしのすすめ(創元社,2004)P.21,P.25

参考文献

参考記事

神保町(九段下ビル)風化が進んだ昭和のモダン・ビル。

靖国神社のある九段下の近く、神田神保町三丁目に昭和のモダン・ビルが残されています。

1階には、店舗が入居していたようです。現在も飲食店が何軒か営業中です。

旧名「今川小路共同建築」、現在は「九段下ビル」と看板を掲げる三階建てのビルは、昭和2年、戦災復興事業のひとつとして、建てられました。倒壊の危険も囁かれていますが、今のところ、解体の計画はないそうです*1

裏から見ると、かなり風化が進んでいることがわかります。

【参考文献】
*1 藤木TDC,イシワタフミアキ:昭和幻景(ミリオン出版,2009)P.24-P.25

参考文献

参考記事

岩槻(岩槻名店街)女の子募集の貼紙。バイアグラの貼紙。

岩槻市街にある「岩槻名店街」。

シャッターが閉まっている店が多く、閑散としています。
ふと見ると、壁に貼紙が貼られています。(写真右側)

風俗、水商売の女の子大募集です。

県道324号線沿いの電柱で見かけたバイアグラの貼紙。

参考文献

参考記事

三条(かすやビル)サロンの看板。本寺小路の風俗店跡。

本寺小路の路地を入ったところに、風俗店の看板が残されています。

かすやビル。スナック、ランジェリーパブの他にマッサージ店やサロンもあったようです。

入口は、看板の奥のこの階段です。

現在は、休業中のようです。

参考文献

参考記事

三河三谷(駅前商店街)「聖子のピコレ」のペンキ絵。

今回は三河三谷(愛知県蒲郡市)の町並みと風俗を散歩します。JR三河三谷駅は、蒲郡駅にあり、三谷温泉などの観光地があります。駅前から海に向かって寂れた商店街があります。

通りに面して、閉店した商店の建物があります。

看板に書かれている「デジボーグ」「アストロン」は、時計メーカーのセイコーのブランド名です。

1980年。「聖子のピコレ」の頃の松田聖子さんでしょうか。ペンキ絵はかなり磨耗しています。

参考文献

参考記事

神宮前(神宮前商店街)3階建てです。

今回は、熱田( 愛知県名古屋市熱田区)の町並みと風俗を散歩します。
JR熱田駅をおりると、南側に神宮前商店街があります。すぐ隣(写真左側)は熱田図書館です。

周囲は近代的な町並みですが、神宮前商店街だけがレトロな雰囲気を残しています。

熱田図書館から神宮前商店街の建物の裏側をみると、木造3階建てであることがわかります。

建物の裏側。

参考文献

参考記事

上野(キムチ横丁)アメ横から移動したコリアンタウン。

東上野2~3丁目に、キムチ横丁と呼ばれるコリアンタウンがあります。
終戦直後、各地の残留朝鮮人たちは、ひと旗あげようと続々と上京し、凄まじい勢いでアメ横のマーケットに参入しました。彼らは公権力にも果敢に抵抗したため、これに手を焼いた警察当局は、千葉県の実業家・近藤広吉に頼み込み、アメ横に近藤マーケットをオーオプンさせて、浄化作戦に乗り出しました。*1*2
近藤マーケットに追い出された朝鮮人は、東上野2丁目付近に「国際親善マーケット」を建設し、これがコリアンタウンになりました。*2*3

焼肉店をはじめとして、キムチ、漬物、乾物などを売る店などが、密集しています。

各店毎に異なる味つけを楽しめるのも魅力です。*2

キムチ横丁の北側。2棟の建物の間が生活通路になっています。

【参考文献】
*1 塩満一:アメ横三十五年の激史(東京稿房出版,1982)P.107-P.108
*2 山野車輪:在日の地図(海王社,2006)P.106,P.112-P.113
*3 東京焼け跡ヤミ市を記録する会:東京闇市興亡史(草風社,1978)P.94

参考文献

参考記事

この記事を参照している記事

上野(キムチ横丁の通路)ディープな雰囲気の通路。

那覇(農連市場)全国でも珍しい相対売りの市場

那覇の国際通りから南側に延びる市場中央通りの終着点に、農連市場があります。ここは、全国でも珍しい相対売りの市場です。セリで落とすのではなく、直接農家のおばあと交渉して価格を決めるのが相対売りです。農連市場は、1958年に沖縄農業組合連合会によって、開設されました。*1

見た目は、まるで戦後食料難時代にタイムスリップしたかのようなバラック小屋です。かつては、県民の台所として沖縄全土の農家がこの聖地を目指して、毎朝、野菜を運んできました。*1

新鮮な野菜が並びます。

農連市場の裏側。カーブ川沿いにバラック風の建物が並んでいます。

【参考文献】
*1 松井優史:ハイサイおばあ!(竹書房,2007)P.8-P.14

参考文献

参考記事

函館(大門松風町)函館の顔とも言える通りです。

今回は、函館(北海道函館市)の町並みと風俗を散歩します。
JR函館駅前の大門松風町は、函館の顔とも言える通りです。

松風町四つ角付近。現在、CDショップの玉光堂のある場所には、拓銀がありました。手前にある書店森文化堂は、古くからある商店です。*1
この道路をまっすぐ行くと、かつて遊廓があって栄えた大森町です。

逆方向から見たところ。

昔の商店街の雰囲気を伝える写真が商店の建物の壁に貼られています。

【参考文献】
*1 木下順一他:函館街並み今・昔(北海道新聞社,2001)P.112-P.113

参考文献

参考記事

青森(赤平りんご店のトタン建築)隣に駅前天国。

今回は、青森(青森県青森市)の町並みと風俗を散歩します。
青森駅前にある1階にリンゴ屋が入る建物。(隣は「駅前天国」)

建物の側面(南側)。

芸術的なトタン建築です。

建物の右側。こちらは赤色が中心。

参考文献

参考記事

高田(仲町の商店街)雁木造りの飲食街。

今回は、高田(新潟県上越市)の町並みと風俗を散歩します。高田の飲食店は、駅の東側の仲町に集中しています。

雪国らしい雁木(雪よけの屋根)のある飲食店街です。

高田の雁木通りは、16キロにも及び日本一の長さであると言われています。

雁木の下に飲食店が建ち並んでいます。

参考文献

参考記事

西川口(風俗店跡)シャッターに絵が描かれました。

川口商工会議所 街づくり推進課は、仲町中学校と協力し、違法風俗店が出て行って空き家となったビルのシャッターに絵を描いています。*1

庭をテーマとして、梅、月下美人、コスモスなどの絵がシャッターに描かれています。*1

以前は違法風俗店が建ち並んでいたメインの通り。
寂れた街も、花の絵によって徐々に明るさを取り戻そうとしています。

シャッター全面に花の絵が描かれています。

【参考テレビ番組】
*1 NHK総合テレビ ローカルニュース(2008.3.10 20:55)

参考文献

参考記事

立川(四角形の窓を持つスナック。)シネマ通り。

立川駅南口のシネマ通り。

戦後米兵たちで賑わった通りですが、*1 現在は、商店街になっています。

赤線跡を歩く*1 に掲載されている四角形の窓を持つスナック。

モダンなデザインです。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(筑摩書房,2002)P.99

参考文献

参考記事

赤羽(明店街)「通りぬけ」の看板。ミルクホール。

今回は、赤羽(東京都北区)の町並みを風俗を散歩します。
JR赤羽駅近くには、たくさんの路地や横丁があります。そのうちの一つ。明店街。

商店が並ぶ路地。

「ミルクホール」の看板のあるお店。牛乳屋さんではなさそうです。

「通りぬけ」の看板。

参考文献

参考記事

銀座(8丁目並木通り近く)銀座の柳にピンクビラ。

銀座8丁目の並木通り近く。「金春通り」の看板の近くの支柱に、ピンクビラが貼られています。渋谷で見かけた支柱*1 と同じように、”あばた状態”になっています。

電話ボックスに、多数のピンクビラが置かれていました。

町内会の掲示板とピンクビラ。

銀座の柳とピンクビラ。

【参考記事】
*1 風俗散歩(渋谷):丸山町のピンクビラ(2007.6)

参考文献

参考記事

高崎(電気館通り)柳川町のシンボル的存在でした。

電気館通りには、その名の通り映画館の電気館がありますが、残念ながら平成13年から休館中となっています。*1

電気館は、大正2年(1913年)から高崎で初めての映画上映館としてのモダンな建物の日活電気館でした。毎日多くの映画愛好者の人たちで電気館通りは賑わい、電気館は、柳川町花街のシンボル的存在でした。*1

「STAGE-1」。何かの飲食店だったのでしょうか。

裏口の階段付近。看板が置き去りにされていました。

【参考文献】
*1 はせちゅう:柳川町花街物語(文芸社,2002)P.22-P.25

参考文献

参考記事

高崎(高崎オリオン座)中央銀座アーケード通り。2003年に閉館。

今回は、高崎(群馬県高崎市)の町並みと風俗を散歩します。
高崎中央銀座アーケード通りにある映画館の「高崎オリオン座」。

2003年2月28日に閉館しました。

閉館した当時のポスターが残されています。

オリオン1、オリオン2、オリオン3。

参考文献

参考記事

鹿児島(名山町の路地)木造家屋の飲み屋街です。

鹿児島市内の名山町に木造家屋の飲み屋街がひしめく路地があります。昭和のなつかしさを感じることができる場所です。*1

後方のビルは、市役所新館です。

なつかしさが残る長屋の佇まいです。

飲食店も営業中です。

【参考文献】
*1 深見聡:鹿児島の史と景を歩く(南方新社,2004)P.38-P.40

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大久保(職安通り)韓国の生きる町。韓流ブームにあやかったグッズ店。

今回は、新大久保の町並みと風俗を散歩します。
職安通りは、ここ数年で韓国の店が急増したようです。*1
「大使館」と大きく書かれた看板は、韓国の炭火焼肉店です。

韓流ショップの店。ブロマイドなど、韓流ブームにあやかったグッズ店が並らび、主婦層の客で賑わっています。「美容室」の看板には、ハングル文字の表記もあります。

ホトックとトッポッキのお店。ホトックは、アンコ、チーズ、ハチミツの味があり、値段も200円とお手頃です。

職安通りと言えば、数年前は外国人売春婦がたむろす通りといったイメージがありましたが、現在はまったく様変わりしています。

【参考文献】
*1 新谷尚紀,岩本通弥編:都市の光と闇(吉川弘文館,2006)P.174-P.188

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尾張一宮(泉2丁目のスナック街)レトロなアーチが続きます。

今回は、尾張一宮の町並みと風俗を散歩します。
JR尾張一宮駅から東へ約1km。泉2丁目に、居酒屋やスナック店が密集する歓楽街があります。

スナックが連なる一画。

風俗店とスナック店が混在しています(上の写真の反対側)。

上の写真の通りを抜けたところによあるスナック横丁の「HANAOKAGINZA」。

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真金町・永楽町(横浜橋市場)魚屋と立ち飲み屋。

今回は、真金町・永楽町(神奈川県横浜市)の町並みと風俗を散歩します。
京浜急行の黄金町から5分ほどのところに横浜橋商店街があります。
商店街の中ほどで、鮮魚店や精肉店が並ぶ路地が交差します。

路地の中に入っていきます。短いですが幅が狭く、昭和の時代を感じる路地です。

路地を抜け、逆方向から見ると、「横浜橋市場」と書かれた看板があります。なぜか鉄腕アトムが描かれています。

隣では、一杯飲み屋が営業中です。

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中村(大門通り)旭廓が一斉移転してできた中村遊廓。

今回は中村(愛知県名古屋市)の町並みと風俗を散歩します。
中村日赤駅から徒歩10ほどのところにある大門通り。この一角には、かつて中村遊廓がありました。中村遊郭は、それまで大須観音近くにあった旭廓が一斉移転して造られた花街で、大正12年(1923年)に一挙にできあがりました。*1

金属でできた「OMON」と書かれた新しいタイプのゲートもあります。近くには、昔、遊郭であったと思われる古い建物(「長寿庵」)があります。

町の中心部にスーパーマーケットのユニーがあり、全体的には普通の町と変わりません。しかし、よく見ると、ユニーの前にソープランドがあったりと一味違った雰囲気を感じさせます。

歩道にあった装飾。大門の絵が描かれています。

【参考文献】
*1 若山滋:遊蕩の空間(INAX出版,1993)P.13

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松岸(商店街)利根川の近くの町。

今回は、松岸(千葉県銚子市)の町並みと風俗を散歩します。
JR松岸駅は、総武本線銚子駅の一つ隣の駅です。駅から利根川の方向へ10分ほど歩くと、「松岸町北」と書かれた信号のある交差点に出ます。八百屋や薬局などの商店が何軒かある以外は、特に目立ったものはありません。

近くにあった煙草屋。カラフルなタイルが印象的ですが、休業中のようです。

しばらく行くと、前方に利根川が見えてきます。同時に、壮大な王宮のようなピンク色の建物が左手に現れます。

制服を着た若い女性が玄関の掃除をしています。どうやら、ピンクの建物は、「モアパーク」という名の結婚式場のようです。

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飛田(動物園前商店街)飲食・娯楽がすべて揃っています。

動物園前駅から南へ続く商店街。「動物園前一番街」のアーケードがあります。

綺麗に整備された商店街です。

商店街には、さまざまなお店が並んでいます。大衆酒場、カラオケ居酒屋、お好み焼き屋、回転焼き屋、レトロな喫茶店があるかと思えば、その隣にはレンタルビデオ屋があります。飲食・娯楽を中心に、生活に必要なものがすべて揃っているという感じです。

二番街の入口付近。気持ちよさそうに昼寝をしているネコが二匹いました。

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東向島(いろは通り)赤線時代の名前を残す通り。

今回は、東向島(東京都墨田区)の町並みを散歩します。
東武伊勢崎線東向島駅で下車し、北へ3分ほど歩くと、いろは通りの入口のアーケードがあります。

「玉の井いろは通り」と書かれています。赤線時代の玉の井という地名が残されています。

いろは通りの商店街。

最近見かけなくなったゼブラ板(丸型)付きの信号機があります。縦に取り付けられているのは珍しいと思います。

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大宮(平和通商店街)特殊浴場協会の事務所。

今回は、大宮の町並みと風俗を散歩します。大宮駅東口を出て、真っ直ぐ北へ向かい、大栄橋の下を通り抜けると、北銀座平和通り商店街のアーケードがあります。

大栄橋の下に特殊浴場協会の事務所があります。

商店街といっても商店はあまり多くありません。

しばらく行くとソープランドの看板が見えてきます。

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曳舟~鳩の街(鳩の街商店街)ピンク色のアーチが入口です。

水戸街道の東向島一丁目交差点。ピンク色のアーチがあるところが「鳩の街商店街」の入り口です。

賑わいのある商店街。

2階に物干し台のある商店(写真右)。

木造和風の佇まいの化粧品店。

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北千住(大門商店街)遊廓街があった付近です。

今回は、千住柳町を目指して散歩します。北千住駅から日光街道へ出て北上し、左へ曲がると大門商店街のアーケードに着きます。

お買い物の散歩道。

商店街の脇の路地。

モダンなデザインの建物。

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小山(みつわ通り商店街)緩やかにカーブを描く商店街

小山駅東口の北側に、「みつわ通り商店街」があります。

古くからある商店街らしく、道は緩やかにカーブを描いています。

左側に曲がったあたりが、商店街の北端です。

「みつわ通り商店街」にあるカラオケパブ。和田アキ子、坂本九など、懐かしさを感じます。

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入谷~吉原(せんわ通り)美しい柳並木。水道尻。

国際通りを横切るとせんわ通りに入ります。ここからは柳並木が現れます。

交差点を左に曲がると吉原の一角にさしかかってきます。

花園公園のあたり。道がS字型にカーブしています。このあたりは水道尻(すいどじり)と呼ばれているそうです。

水道尻を抜けると吉原のソープ街まで一直線です。

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入谷~吉原(金美館通り)映画館の名前の通りです。

今回は、入谷~吉原の町並みと風俗を散歩します。地下鉄日比谷線の入谷駅を出ると、まず目につくのが大手家具小売のハヤミズ家具センターのビルです。不況の影響受けて経営破綻しましたが、店舗兼本社ビルは、そのままです。

入谷から金美館通りを経由して吉原へ向かいます。吉原へ歩いて行く道としてはもっともオーソドックスな道順です。昔、金美館という名前の映画館があった(写真の東京菓子会館のあたり)ことが、金美館通りの名前の由来だそうです。なんとなく妖しい響きのする名前です。

金美館通りの歩道を歩くと、「これから吉原へ行くんだ」という気分になってきます。

「第一食品」や「入谷市場」という名前のスーパーがあるあたりは下町風情が残っています。

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宝山寺(近鉄生駒駅)駅から生駒山が見えます。

今回は、宝山寺の風俗を散歩します。宝山寺(生駒)はマニアックな裏風俗として雑誌などで紹介されています。
近鉄生駒駅で下車すると、目の前に生駒山が望めます。よく見ると山の斜面にケーブルカーの線路が延びており、中腹あたりが目指す宝山寺であることがわかります。

生駒山へ伸びる商店街があります。宝山寺まで歩いて上る場合は、ここが登山口です。

駅前の道路には、「生駒聖天(宝山寺)」の看板があります。車で宝山寺まで行く場合はこの道路を登ります。

今回は、宝山寺初挑戦ということもあり、登りはケーブルカーを使うことにします。ケーブルカーの鳥居前駅は近鉄生駒駅に隣接しています。

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