すべてのジャンル > 生活 > 商店・サービス 理・美容室 1古風な理容室 2理髪店 3理容室 4美容室「ローズ」 5駅前の理容室 6バーバーホマレ 7理容室跡 8理髪店 9理容室だった建物 10美容室の建物 11おかず横丁の理美容室 12花街に隣接する美容室 13理容室、美容院 14久木町の理容店 15古い商業ビルの理容室 16関原銀座 17日の出理容院 18理容室 19旭町の美容室 20大勝パーマ 21理容室 22さかえ通りの美容室 23キラキラ橘商店街の理容室 質屋 24質屋 25質屋 26交差点角の質屋 宿泊所 27簡易宿泊所 28ビジネスホテル 29簡易宿泊所 30新宿四丁目ビジネス旅館街 31簡易宿泊所 32簡易宿泊所の屋上 33総合労働福祉会館 34舟の休憩所 玩具 35玩具問屋「上野屋」 病院 36性病科 下宿屋 37旅館「鳳明館」 38日本館 39渡辺館 クリーニング店 40クリーニング店 41似顔絵コインランドリー 42コインランドリー 酒屋 43酒屋裏の路地 古物商 44古物商店
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上野(玩具問屋「上野屋」)創業は昭和25年。

上野アメ横の東側の通りにある玩具問屋「上野屋」。
創業は昭和25年(1950年)です。*1

店舗の前面には、マスク類が所狭しと陳列されています。宴会などで使用するおもちゃ類を販売しているようです。

看板には、「流行・教材・季節・景品・サービス・花火 各種玩具」「玩具問屋」と書かれています。
2階部分には懐かしいアニメなどのポスター類が貼られています。

ボビーオロゴン、美川憲一(コロッケ)。

参考文献

*1 玩具問屋 上野屋 玩具問屋 上野屋 公式ホームページ リンク
・上野アメ横 海産物食料品のメイン通りのおとなりで1950年(昭和25年)よりおもちゃ一筋で営業。 ・最新流…

幕張(美容室「ローズ」)「パーマ」大看板のある木造家屋。

京成電鉄幕張駅近くの線路沿い。舗装されていない道の先。

美容室「ローズ」の看板

木造家屋の美容室です。

「パーマ」の大看板は、遠くからでも見えます。

鶯谷(交差点角の質屋)圧倒的な3階建ての外観。

下谷1丁目の住宅街。

交差点の角に、古いコンクリート製の建物があります。1階には店舗。同じビルに質屋の看板が残っています。

建物の側面。

側面の窓の配置から、3階建ての建物であることが解ります。

浅草橋(おかず横丁の理美容室)バーバー、パーマの看板。

レトロな建物が残っているおかず横丁。

理容室(バーバー)。

レトロなパーマ屋さん。

交差点の角の赤い建物の美容室。

野毛(日の出理容院)都橋商店街の隣。レトロなドアと外壁。

大岡川に沿って建つ都橋商店街の西隣の飲食店街の建物。

2階が居住部分です。

ビルの1階はのほとんどは飲食店ですが、1店舗だけ理容室があります。

レトロなドアと外壁。

川崎南町(簡易宿泊所)昭和28年開業。昭和35年には60軒。

旧川崎宿の西端の日新町にある簡易宿泊所(ドヤ街)。

複数の簡易宿泊所が密集しています。

昭和28年に5軒の宿泊所が開業したのが始まりです。昭和35年には60軒になりました。

テレビ付き。

長崎稲佐(旭町の美容室)古くからの商店街。

今回は、長崎稲佐(長崎県長崎市)の町並みを散歩します。
長崎湾に近い旭町には、古くからの商店街があります。

似たようなデザインの店舗が連なっています。

美容室の部分だけが看板建築です。

長屋風の商店街の1階の美容室。

長崎戸町(理容室)調髪館。入口に、斜めの取っ手。

遊廓街だった戸町一丁目の通りにある理容室。

「調髪館」と書かれています。

入口のドアには取っ手が斜め取り付けられています。

水色の窓枠。

白山(旅館「鳳明館」)東大の学生向けの下宿屋が発端。

菊坂通りを北へ入ったところにある老舗旅館「鳳明館」。
本郷には、昔ながらの旅館が残っています。そのほとんどは、東大の学生目当てに始めた下宿屋が発端と言われています。*1

道路を挟んだ向かい側にある別館。

別館の玄関。

本郷界隈の旅館の大方は、岐阜県出身の種田一族と小池一族が興したものらしい。「鳳明館」の創業者も小池英夫という人で、昭和11年に、現在の「鳳明館」(本館)で営業を始めました。*1

参考文献

*1 泉麻人 東京ディープな宿 中央公論新社
P.66 本郷の東大近辺には、いまも昔ながらの旅館が何軒か残っている。そのほとんどは、帝大の学生目当て…

佐原(古風な理容室)見番があった通り。白い窓枠。

佐原市街の東薫酒造の工場(写真左側)の西側の通り。

通りのつきあたりに、古風な理容室があります。

1階部分は水色。窓枠は白く塗られています。

地元の方の話によると、かつて、この通りの先には、花柳界の見番がありました(「駅前の看板に書かれていた二業組合とは、時代が異なるのでは」との話)。

高田馬場(日本館)昭和11年に始まった学生向けの下宿屋。

国旗掲揚塔※1 のある通りを南へ進んだ四つ角にある下宿屋の日本館。昭和11年に始まった学生向けの下宿屋です。

玄関。

部屋数は約30室。

穴あきブロック塀の下に、穴あき状に石材を平積みした構造。

日本橋(理容室跡)木々が生い茂る中のサインポール。

八重洲一丁目の繁華街。

ビルの谷間の木々が生い茂る中に、理容室のサインポールだけが置き去りになっています。

隣は雀荘が密集する路地。※1

現在、1階は喫茶店ですが、以前は理容室だったのかもしれません。

根岸(美容室の建物)古い町並みが残る商店街の看板建築。

根岸柳通りは、古い町並みが残る商店街です。

商業ビル※1 の対面に残る看板建築の建物。

1階は美容室。

ドア横にある凝った意匠の小窓。

磯子(久木町の理容店)鮮やかな水色の看板。

磯子区久木町の住宅街。


レトロな理容室。


鮮やかな水色の看板に、サインポールが映えます。


店の前に置かれている鉢植えも水色に統一されています。

大森(クリーニング店)タイルの装飾。DRY CLEANING。

大森駅前の古い商店の建物。「あらがや」という屋号とマークが描かれています。

鮮やかな青色のタイルで装飾されています。

クリーニング店だったようです。

「DRY CLEANING」の文字。

浅草(古物商店)モガモボ御用達。大正ロマン。

浅草寺の西側に、「モボモガ御用達」と書かれた看板があります。

路地を進んだ先に古物商店の入口。

大正ロマンを切り口にした骨董店です。*1
店内は写真撮影OKとのことです。

地下の売り場にある白黒テレビ。

【参考文献】
*1 東京蛍堂ホームページ

神田(古い商業ビルの理容室)2階と3階は居住スペース。

神田鍛冶町三丁目にある古い商業ビル。

パーマ屋の看板。現在は休業中です。

1階が、パーマ屋や理容室などの商業スペースで、2階と3階は居住スペースです。

理容室は、現在も営業中です。

安浦(理容室)緑のタイル。木製の窓枠。

住宅街の中にスナック、銭湯などが点在する旧カフェー街。

理容室「良美軒」の建物。

玄関部分は緑色のタイルで装飾されています。

木製の窓枠がいい感じです。

尾久(質屋)大きな看板。高い塀で囲まれいます。

尾久は質屋が多い街です。

こちらの質屋さんは、高い塀で囲まれいます。

塀に書かれた質屋の名。

表通りには、人目を引く大きな看板があります。

高山(理容室)高山昭和館のある通り。

高山昭和館のある通り。このあたりは、町全体が昔の雰囲気を残しています。

「理髪」と書かれた看板のある理容室。

こちらの理容室は、休業中のようですが、色とりどりのペンキで装飾されています。

当時のままの佇まいです。

鳩の街~京島(キラキラ橘商店街の理容室)赤いタイルの円柱。

キラキラ橘商店街にある理容室。

看板がしっかりと残っています。

この日は定休日でした。

美しい赤いタイルの円柱。

南千住(理髪店)、赤、青、白、三色のタイル。

南千住6丁目の路地に、赤、青、白の三色看板の理髪店があります。

理髪店の入口。

美しい三色のタイル。

入口の上部に2本の円柱。こちらも三色です。

新宿(質屋)ネオン管の看板。歌舞伎町方面へ行く路地。

新宿三丁目から歌舞伎町方面へ行く路地。

古い質屋があります。

入口のシャッター。

レトロなネオン管の「質」の看板。

新橋(バーバーホマレ)94歳女性理容師の遺言。

新橋と言えば、ガード下です。

居酒屋が建ち並ぶガード下に理容室があります。時が止まったような昭和のたたずまいです。

「バーバーホマレ」は、1953年開業。店主の加藤寿賀さんの“顔剃り”は、かつての花柳界で鍛えられた職人技でした。15歳から94歳まで働き続けた寿賀さんの人生は、テレビ番組で紹介され、「94歳女性理容師の遺言 なぜ、はたらくのか」と題する本も出版もされました。*1

あsdf2階は居住空間になっています。加藤寿賀さんは、ここで二人の娘を育てあげ、仕事で疲れた体を休めました。

【参考文献】
*1 加藤寿賀:なぜ、はたらくのか(主婦の友社,2010)P.8-P.46

日本橋(理髪店)昭和5年築の看板建築。モダンなデザイン。

日本橋本町四丁目は、かつての町並みや雰囲気が残るエリアです。

中でも「理髪久保田」は、昭和5年築の看板建築です。

モダンなデザインです。

現在も営業中です。

【参考文献】
*1 佐藤洋一,武揚堂編集部:あの日の日本橋(武揚堂,2007)「火災保険特殊地図」

高田馬場(渡辺館)賄い付き下宿。木々に囲まれた画。

西早稲田2丁目。早稲田通りを南側に入った路地。

木々に囲まれたこの一画は、閑静な住宅になっています。

下宿屋の「渡辺館」。

今では少なくなった賄い付きの下宿です。

高田馬場(さかえ通りの美容室)1階にレストラン、2階がアパート。

さかえ通りに、昭和を感じさせる美容室の建物があります。

古い看板が連なっています。

2階はアパートになっていて、1階の美容室の隣がアパートの入口です。

1階の右側半分は、タイ料理の店になっています。

千駄ヶ谷(性病科)住宅地にある病院。線路沿いの道。

今回は、千駄ヶ谷(東京都渋谷区)の町並みと風俗を散歩します。
JR千駄ヶ谷駅のベンチで見かけた「性病科」の看板。

線路沿いの道を進みます。

医院の近くまで来ました。

医院は、閑静な住宅街の中にあります。

白山(花街に隣接する美容室)モダンな斜め取っ手のドア。

旧花街の東側に美容室だった古い建物があります。

当時のままの状態で残されています。

入口には、斜め取っ手のドアがあって、美容室らしいモダンなデザインです。

看板の跡でしょうか。

柴又(似顔絵コインランドリー)寅さんの似顔絵。

柴又駅近くの踏み切りの脇にコインランドリーがあります。

一見なんの変哲もないコインランドリーですが、実は、ここは似顔絵ランドリーです。壁と天井に似顔絵がびっしりと貼られています。

たいていは一人1枚ですが、寅さんの似顔絵は数枚あります。

新聞でも紹介されました。

西新井(関原銀座)鋭角の建物のパーマ屋さん。

今回は、西新井(東京都足立区)の町並みと風俗を散歩します。
関原は、西新井駅の南側の地域で、関原銀座会などの商店街があります。

関原銀座会の商店街にある鋭角の建物のパーマ屋さん。現役で営業中です。

モダンなデザインの理容室。

関原二丁目。

【散歩地図】

吉原(簡易宿泊所)古い旅館風の建物が建ち並んでいます。

今回は、山谷~吉原の町並みと風俗を散歩します。
山谷は、吉原の地続きのドヤ街(日雇い労働者が集まっている地域)です。
山谷の前史は、明暦3年(1657年)にさかのぼります。吉原遊廓移転の際、新吉原遊廓の建築が出来上がるまでの2ヶ月間、山谷地域での仮宅営業が認められ、その後も、新吉原遊廓の大火の際(計13回)、仮宅営業が認められました。少ない設備投資で大きな利潤を稼げる仮宅営業は、遊廓業者にも歓迎されました。このような山谷の売春街としての歴史的風土性は、戦後の木賃宿にも引き継がれ、女衒宿が大きな利益をあげていました。*1

現在の山谷は、すっかり変貌し、町全体が建設・港湾・運輸の大企業に供給される日雇い労働者の巨大な共同飯場になっています。*1

吉原に近い日本堤には、簡易宿泊所が密集しているエリアがあります。

古い旅館風の建物が建ち並んでいます。

【参考文献】
*1 神崎清:山谷ドヤ街(時事通信社,197)ⅰ,P.148,P.171

平和島(酒屋裏の路地)ナイスバディの女性。

酒屋脇の路地を歩いていると、美人の女性に遭遇?

美人の女性(安室奈美恵さん)の向かい側には、ナイスバディの女性が待ち構えております。

この女性は、かなり昔から、この場所で客を待ち続けているものと思われます。

こんなナイスバディの女性に誘われたら、我慢できずに店に入ってしまうでしょう。

平和島(駅前の理容室)水色の窓枠から延びる煙突。

平和島駅前に、レトロな理容室の建物があります。

とにかく凄い年季の入り具合です。

窓枠は水色で統一され、窓から煙突が延びています。

水色の窓枠と一体化した郵便受。

石川町(舟の休憩所)運河に浮かぶ水上ホテル。ドヤの原型。

石川町の車橋交差点に、「舟の休憩所」と書かれた看板があります。

看板にしたがって、中村川沿いを西へ進むと、「舟の休憩所」が見えてきます。
この船は、運河に浮かぶ水上ホテルです。消防法上の設備・規制をクリアしていないため「宿泊所」を名乗ることができませんが、実態は労働者の宿泊所です。*1
1950年の朝鮮戦争により、横浜港は軍需物資を運ぶ拠点になり、横浜に職を求める人々が全国から押しかけましたが、野宿を余儀なくされて凍死する人たちが毎年のようにでました。そこで行政が苦肉の策として考えたのが川の上に浮かぶ艀(はしけ)を利用して作る水上ホテルでした。民間でもこれを真似て、簡易宿泊所としての水上ホテルが川の上に建ち並び、これがドヤの原型となりました。*2

隆盛を誇った水上ホテルですが、実態は定員の5倍以上の人々で溢れた収容所のようなもので、チフスも流行していました。1951年1月、7名の犠牲者を出した転覆事故が転機となって、水上ホテルは徐々に姿を消していきました。同時に、アメリカ軍の接収が解除された寿町に、今のドヤの元となる簡易宿泊所が次々と建設されていきました。*2

舟の上には粗大ゴミが放置されています。現在は休業中なのでしょうか。

【参考文献】
*1 藤木TDC、イシワタフミアキ:昭和幻景(ミリオン出版,2009)P.108-P.109
*2 石川 直樹:すばる31(6)(2009.6)「横浜・寿町どやどや滞在記(第2回)越冬パトロール」P.288-P.289

石川町(コインランドリー)町内のあちこちにあります。

寿町の町内には、コインランドリーとコインシャワーがあちこちにあります。

簡易宿泊所前に並ぶ洗濯機と乾燥機

1台だけのコインランドリー。

コインシャワー。

石川町(総合労働福祉会館)広場の天井には寿の花。

寿町でのなかで「寄せ場」(日雇い労働者の職業斡旋を行う場所)にあたるのは、寿町総合労働福祉会館(通称「センター」)の広場とその周辺です。*1

1階には日雇い労働者のための無料職業紹介所があります。*1

「センター」1階の広場では、1990年代まで「やんから」と呼ばれる「焚き火」が行われていました。ここでは、寒さが厳しくなる冬季に、野宿生活をする人びとを中心に暖をとり、酒を酌み交わすなどしていました。「やんから」は、周辺の商店や住民たちがゴミを燃やすためにも利用され、「寿の風物詩」として愛着をもって見守られてきましたが、2005年から2006年にかけて廃止され、焚き火の跡地には自転車置き場が設けされました。*1

長年にわたって焚き火が続けられたため、「センター」広場の天井はすすで真っ黒になっていましたが、2006年、そのすすの上に芸術家がチョークで絵を描き、市民からの公募も合わせて「寿の花『スカイフラワー』と名付けられました。

【参考文献】
*1 山本薫子:横浜・寿町と外国人(福村出版,2008)P.20-P.21,P.126-P.129

石川町(簡易宿泊所の屋上)屋上に乱立するテレビアンテナ。

簡易宿泊所の入口。現在では、ほとんどの簡易宿泊所の部屋にテレビやエアコンがついています。

屋上には、いくつものテレビアンテナが立っています。

ロの字型の建物の中央の空洞部分。

害虫防除作業中の看板。

石川町(簡易宿泊所)日本の三大寄せ場の一つ。

JR石川町駅の西側に位置する寿町は、日雇い労働者の街として知られた地域で、東京の山谷、大阪の釜ヶ崎と並んで「日本の三大寄せ場」の一つに数えられてきました。「寄せ場」とは、日雇い労働者の職業斡旋を行う場所のことで、同時に簡易宿泊所(ドヤ)が密集する地区であることも意味しています。2002年、「ホームレスの自立の支援などに関する特別措置法」が成立し、2003年には寿町内に「ホームレス自立支援施設『はまかぜ』」(写真の左側の白い建物)が開所しました。*1

寿町は、第二次大戦後は、米軍に接収された地域でしたが、1956年に接収が解除され、同時に野毛地域のスラムクリアランスが実施されました。これにより、労働者たちは寿町に集まり、それに対応するかのように簡易宿泊所の数も増えていきました。*1

1990年代以降の寿町は高齢化が進展し、横浜市では、寿町の簡易宿泊所を居住地とする人たちには、生活保護受給を認めたため、それまで「寄せ場」とは無縁だった人たちが寿町で生活を始め、簡易宿泊所の経営も安定しました。その結果、かつては、古ぼけた木造建築が中心だった簡易宿泊所は、2000年前後から、建て替えが進み、現在ではその大半が鉄筋建築に姿を変えています。かつて、無法地帯という意味で「西部の街」と呼ばれた寿町の面影は薄らいでいます。*1

寿町は、関内、石川町など横浜の主要駅に徒歩圏内であることや、伊勢佐木町や横浜中華街など繁華街・観光地にも近いことから、寿町の周辺では、十数階建ての分譲マンションの建築が相次いでいます。*1
写真は、分譲マンション(左側)と簡易宿泊所(右側)が隣り合って建っているケースです。簡易宿泊所の方が一つ一つの部屋が小さいことを除けば、両者の外観はほとんど同じです。

【参考文献】
*1 山本薫子:横浜・寿町と外国人(福村出版,2008)P.11-P.18

本牧(理容室だった建物)落ち着いた感じの住宅街です。

根岸森林公園近くの通り。落ち着いた感じの住宅街です。

古い理容室の建物を発見。

木造の作りは、温かみがあります。

小さめですが、レトロ感があります。

新宿(新宿四丁目ビジネス旅館街)ドヤ街だった旧旭町。

甲州街道と明治通りが交差するあたりに、雷電稲荷神社という変わった名の稲荷神社がありますが、そこが新宿四丁目の旅館街の入口です。
ここは、旭町のドヤ街でしたが、現在は、「新宿四丁目ビジネス旅館街」と看板に書かれています。

今でも小さな旅館が立ち並ぶ風景が見られます。*1

3階建てのように見える旅館。

道なりに進むと、やがて高島屋前に出ます。

【参考文献】
*1 木村聡:荷風!特集大人の新宿(日本文芸社,2004)P.58-P.60「古雑誌記事に”新宿”を読む!」

関内(大勝パーマ)大看板。ひし形の窓。

中華街の中に、パーマ屋があります。「大勝パーマ」と書かれた大看板がひときわ異彩を放っています。隣に真新しい建物があるので、余計に目立ちます。

2階のデザインもすばらしいです。「キング・オブ・パーマ屋」と呼んでもいいぐらいです。

建物の右側に路地が続いています。奥深い場所に物干し台のようなものが見えます。

建物の側面にある入口。ひし形の窓がついた木製ドア。

真金町・永楽町(理容室、美容院)10軒ぐらいあります。

真金町・永楽町には、理容室、美容室がたくさんあります。ざっと数えただけでも10軒ぐらいあります。
横浜橋商店街にある理容室。レトロな感じです。

横浜橋商店街と交差する狭い路地にある美容院。ピンクのタイルの装飾が特徴です。

横浜橋商店街の西側の高根町1丁目の美容院。2階には工務店の看板があります。

入口には、「パーマ」と手書きで書かれた看板があります。

品川(ビジネスホテル)ポツンと1軒あります。

旧街道の両側には、横丁が何本もあります。そのうちの1本の路地を下ると、「赤線跡を歩く」*1 に掲載されているビジネスホテルがポツンと1軒あります。
街道と交差する東側の横丁は、このようにすべて海側に向かって下っています。つまり、品川宿の街道は、斜面を通っているということになります。(写真の奥が街道側です。)

看板には、「ビジネスホテル」と書いてありますが、旅館の風情です。

裏手から見たところ。

旧街道沿いにも同じ名前のビジネスホテルがありました。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(筑摩書房,2002)P.37