全国 > 東京都 > 台東区 根岸鶯谷浅草橋浅草上野吉原 柳橋1丁目 1老舗やきとり店 2花柳街跡地 3美家古寿司本店 4石塚稲荷神社 5柳橋の花街跡 6篠塚稲荷神社 7料亭 8船宿 9柳橋

浅草橋(老舗やきとり店)篠塚稲荷神社の隣。

かつての花街があった柳橋一丁目。

篠塚稲荷神社の隣に、老舗やきとり店があります。

釜めしと焼き鳥。

焼き鳥定食と日本酒を注文。

浅草橋(花柳街跡地)墨田川沿い。現在はビル街に。

かつての柳橋の花街は、墨田川沿いにありました。
「昭和37年の柳橋マップ」*1 によると、この通りの東側(写真左側)に、「料亭深川亭」「料亭子安」「料亭卯の木」「料亭はやし」「料亭津久松」「料亭柳水」がありました。

佃煮屋の「小松屋」のマーク

反対側(南側)から。

墨田川からの遠望。現在はビルが建ち並んでいます。

参考文献

*1 柳橋 花柳界盛衰譚: 荷風!vol.12 (日本文芸社,)
柳橋 花柳界盛衰譚
P.34 昭和37年の柳橋マップ 墨田川沿いに、北から「料亭深川亭」「料亭子安」「料亭卯の木」「料亭は…

タクソノミー(分類)

芸妓屋・料亭・カフェー 柳橋1丁目

関連記事(「外食」「台東区」)

上野(純喫茶「古城」)ステンドグラスが美しい老舗喫茶店。
鶯谷(とんかつ店「とん平」)戦後開業の老舗。
浅草橋(すし栄)かつては銀座で数店舗をれん分け。
浅草橋(老舗やきとり店)篠塚稲荷神社の隣。
浅草橋(美家古寿司本店)創業は文化年間。風情のある路地。
上野(老舗洋食店「とうかい」)小ぶりながらも味は絶品。
上野(カレー専門店「クラウン」)王冠のマークが目印。
浅草(尾張屋本店)明治3年の創業。荷風が通った店。
浅草(正直ビアホール跡)昭和の初期から続く名店。
浅草(三定)日本最古の天ぷら老舗。特大メニュー。
浅草(食堂「筑波」)2階部分に大看板。手作り感のある暖簾。
吉原(カツ専門店「日の出」)GHQからの手紙。
鶯谷(鍵屋)江戸時代創業の居酒屋。黒板塀に徳利。
吉原(土手の伊勢屋)明治22年、吉原大門に創業。
浅草(どぜう「飯田屋」)永井荷風がよく訪れた店。
浅草(アリゾナキッチン)永井荷風に愛された洋食屋。
浅草(神谷バー)電気ブラン。浅草の近代百年の盛衰。
吉原(桜鍋料理の専門店「中江」)明治38年創業。

浅草橋(美家古寿司本店)創業は文化年間。風情のある路地。

今回は浅草橋(東京都台東区)の町並みを散歩します。
かつての花街だった柳橋の路地に老舗寿司店が営業中です。

建物は道を挟んで、本店は2棟あります。

創業は、文化5年。

風情のある路地。

参考文献

*1 美家古鮨本店: 美家古鮨本店公式ホームページ (美家古鮨本店,) リンク
文化年間(1804~1817)、初代 加藤赤助が始めた屋台が、美家古鮨本店のはじまりです。 慶應2年、二代目…

タクソノミー(分類)

寿司 柳橋1丁目

関連記事(「外食」「台東区」)

上野(純喫茶「古城」)ステンドグラスが美しい老舗喫茶店。
鶯谷(とんかつ店「とん平」)戦後開業の老舗。
浅草橋(すし栄)かつては銀座で数店舗をれん分け。
浅草橋(老舗やきとり店)篠塚稲荷神社の隣。
浅草橋(美家古寿司本店)創業は文化年間。風情のある路地。
上野(老舗洋食店「とうかい」)小ぶりながらも味は絶品。
上野(カレー専門店「クラウン」)王冠のマークが目印。
浅草(尾張屋本店)明治3年の創業。荷風が通った店。
浅草(正直ビアホール跡)昭和の初期から続く名店。
浅草(三定)日本最古の天ぷら老舗。特大メニュー。
浅草(食堂「筑波」)2階部分に大看板。手作り感のある暖簾。
吉原(カツ専門店「日の出」)GHQからの手紙。
鶯谷(鍵屋)江戸時代創業の居酒屋。黒板塀に徳利。
吉原(土手の伊勢屋)明治22年、吉原大門に創業。
浅草(どぜう「飯田屋」)永井荷風がよく訪れた店。
浅草(アリゾナキッチン)永井荷風に愛された洋食屋。
浅草(神谷バー)電気ブラン。浅草の近代百年の盛衰。
吉原(桜鍋料理の専門店「中江」)明治38年創業。

浅草橋(石塚稲荷神社)江戸時代の創建。玉垣に料亭の名。

浅草橋のJR総武線高架の近く。

江戸時代の創建されたとされる石塚稲荷神社があります。

入口の門柱には、柳橋芸妓組合、料亭組合の名が刻まれています。

料亭の名が刻まれた玉垣。

浅草橋(柳橋の花街跡)現在はビル街。当時の料亭と思われる建物。

柳橋の花街跡。現在はビル街になっていて面影はありません。

当時の料亭と思われる建物。

当時の住宅地図には、料亭「宮城」と記されています。

旧料亭の建物は、次々とビルに建て替わっていく中、当時の建物が残っているのは、貴重と言えます。

浅草橋

タクソノミー(分類)

柳橋2丁目 浅草橋1丁目 蔵前1丁目 鳥越1丁目 浅草橋5丁目 浅草橋3丁目 柳橋1丁目

関連記事(「外食」「台東区」)

上野(純喫茶「古城」)ステンドグラスが美しい老舗喫茶店。
鶯谷(とんかつ店「とん平」)戦後開業の老舗。
浅草橋(すし栄)かつては銀座で数店舗をれん分け。
浅草橋(老舗やきとり店)篠塚稲荷神社の隣。
浅草橋(美家古寿司本店)創業は文化年間。風情のある路地。
上野(老舗洋食店「とうかい」)小ぶりながらも味は絶品。
上野(カレー専門店「クラウン」)王冠のマークが目印。
浅草(尾張屋本店)明治3年の創業。荷風が通った店。
浅草(正直ビアホール跡)昭和の初期から続く名店。
浅草(三定)日本最古の天ぷら老舗。特大メニュー。
浅草(食堂「筑波」)2階部分に大看板。手作り感のある暖簾。
吉原(カツ専門店「日の出」)GHQからの手紙。
鶯谷(鍵屋)江戸時代創業の居酒屋。黒板塀に徳利。
吉原(土手の伊勢屋)明治22年、吉原大門に創業。
浅草(どぜう「飯田屋」)永井荷風がよく訪れた店。
浅草(アリゾナキッチン)永井荷風に愛された洋食屋。
浅草(神谷バー)電気ブラン。浅草の近代百年の盛衰。
吉原(桜鍋料理の専門店「中江」)明治38年創業。

浅草橋(篠塚稲荷神社)玉垣に料亭の名前が刻まれています。

神田川から通りを一本入ったところに、篠塚稲荷神社があります。

正面の石柱。東京柳橋組合の名前があります。

側面の玉垣。両国花火組合、料亭の「いな垣」、「田中屋」の名前が刻まれています。

両国花火は江戸の年中行事になり、主催者である柳橋の名前は全国に知れわたりました。両国花火は、柳橋の広告塔のようなものでした。*1

【参考文献】
*1 牧太郎:東京人(2000.6)「柳橋」江戸からの芸者町の灯が消えた (特集 芸者さんに会いたい 新橋、赤坂、芳町、神楽坂、浅草、東都五花街探訪) P.72-P.73

浅草橋(料亭)花街時代の料亭が今でも健在です。

現在の柳橋は、昔の花街の面影はほとんど感じられてないほど、町並みの雰囲気は変わってしまいました。数は少ないですが、現在も営業中の料亭が残っています。
亀清楼は、柳橋を渡った角の目印の場所にある由緒ある看板の店です。

黒板壁が美しい料亭「伝丸」。

昼間は、ランチが楽しめます。

とんかつ百万石。

安政6年(1856年)に刊行された成島柳北の「柳橋新誌」は、柳北がこの地に遊び、金と嘘とが支配する中にこそ思わぬ真実と純愛もあることを放蕩を通して知った体験に基づいたもので、刊行当時、大評判となり、明治以降も影響力を持ちました。*1
「柳橋新誌」には、「柳橋の妓は、芸を売る者なり。女郎にあらざるなり。而して往々色を売る者あり。何ぞや。深川の遺風あるを以って然るか。而して深川は即ち公に売り、此は即ち私に売る。」と書かれています。*2
江戸時代、深川には、色と芸をかねる「女郎芸者」がいましたが、柳橋は芸を売る芸者で、女郎ではありませんでした。しかし時々、深川の真似をして色を売る者もいました。*3
深川では芸者の売春が公然化していましたが、柳橋では売春しないという建前が一応あったわけです。*2
【参考文献】
*1 岩下尚史:芸者論(雄山閣,2006)P.96-P.100
*2 佐竹昭広:新日本古典文学大系100(岩波書店,1989)P.350-P.351,注釈8
*3 田中優子:芸者と遊び-日本的サロン文化の盛衰(学習研究社,2007)P.77

浅草橋(船宿)猪牙舟は、この船宿から出ました。

柳橋から見る船宿と神田川の眺め。

柳橋に住む芸者の実態を描いた「柳橋新誌」*1 に「皆ここを過ぎる者なく、五街(吉原のこと)の娼しに遊び、三場(歌舞伎三座のこと)の演劇を観、・・・皆水路を此に取る。故に船宿の戸、舟子(せんどう)の口(人数)、星羅雲屯(ほしのごとくつらなりくものごとくたむろし)、・・・」と書かれているように、この当時の江戸の重要な交通手段であった猪牙(ちょき)と呼ばれた小舟は、この柳橋の船宿から出ました。*2

神田川沿いに、船宿が並びます。

昭和の初期は、この道沿いに料亭があり、芸者さんが歩く風景が見られました。*3

【参考文献】
*1 佐竹昭広:新日本古典文学大系100(岩波書店,1989)P.339
*2 佐藤悟:國文学(1990.08)「柳橋 成島柳北「柳橋新誌」P.93
*3 日本文芸社:荷風(2007.6)P.32

浅草橋(柳橋)墨田川や吉原への好適な足場でした。

今回は、柳橋(東京都墨田区)の町並みと風俗を散歩します。
柳橋は、神田川の出口に位置し、両国橋という大きな橋を近くに控えた江戸時代からの水陸の交通の要衝でした。また、墨田川の船遊びや吉原や深川に遊びに行く人たちにとっては好適な足場でもありました。*1

柳橋の名は、柳原堤(やなぎはらどて)の末端に架設されたことが由来とされています。柳原堤は、江戸城の凶位(きょうい)にあたるため、陰気を防ぐために陽木とされる柳が植えられていました。*2

現在は、鉄橋の橋が架かっています。

花街らしく、橋の欄干にはかんざしがデザインされています。

【参考文献】
*1互笑会:柳橋界隈(互笑会,1953)P.96
*2 加藤藤吉:柳橋沿革史(柳橋開橋祝賀会事務所,1929)P.10