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全国 > 神奈川県 > 横浜市南区 万世町2丁目 1三吉演芸場 真金町1丁目 2横浜橋市場 3大鷲神社 4大鷲神社の玉垣 5永楽湯 6酔来軒 高根町1丁目 7理容室、美容院 白妙町1丁目 8森永の牛乳箱 新川町2丁目 9日本橋花街跡地 共進町3丁目 10花街跡 真金町 蒔田 吉野町 井土ヶ谷 真金町2丁目 11旧カフェー街跡地 12スナック店 13旧遊廓街のホテル 二葉町2丁目 14三業組合跡 蒔田町 15旅館「松島」 井土ケ谷上町 16見番跡 17見番周辺 18五差路

真金町(酔来軒)からしを効かせた特性のタレで味わう酔来丼。

眞金町1丁目の「よこはまばし入口」交差点の角にある酔来軒。

広東料理の店です。

名物の酔来丼は400円です。

酔来丼とビールを注文。
酔来丼は、チャーシューとメンマ、モヤシ、刻みネギがのっていて、からしを効かせた特性のタレをかけて食べます。

真金町(三吉演芸場)昭和5年12月25日の創業。風呂屋から転業。

真金町の南側の三吉橋商店街。中村川に架かる三吉橋の上には、首都高速3号線が通っています。

「三吉演芸場」は、昭和5年12月25日の創業で、現存する演芸場では横浜最古です。

昭和初期、コークス製造業し、その熱を有効に使うために風呂屋を手掛けましたが、法令に規制されるようになり、劇場として利用することに着目しました。

入口。

真金町(旧遊廓街のホテル)旧遊廓街の北側。

真金町2丁目の旧遊廓街の北側の通り。中央に緑地帯を持つ道幅の広い道路です。

ラブホテルの建物。

入口には、フリータイムとSTAYの2つの看板。

古い看板。

真金町(スナック店)横浜橋交差点の東側の3軒長屋。

今回は、真金町(神奈川県南区)の町並みを散歩します。
横浜橋交差点の東側に。スナックが建ち並ぶ通りがあります。

1軒屋のスナック。

3軒長屋のスナック店。

2軒が並ぶスナック街。

蒔田

真金町

吉野町

井土ヶ谷

井土ヶ谷(五差路)角に居酒屋やスナック。

井土ケ谷上町付近の住宅街は、曲がりくねった路地の先に五差路があります。

五差路の角にあるスナック。

スナックの隣は居酒屋です。

五差路の西側部分。

井土ヶ谷(見番周辺)かつての花街の雰囲気。

旧見番のある通りに、かつての花街の雰囲気を感じさせる建物が残っています。

奥行のある立派な建築です。

旧見番近くの住宅街。

貸席「ゆたか」の建物。*1

参考文献

*1 経済地図社 南区明細地図 横浜市 1957年度版 横浜市経済地図 1957
P.68 貸席ゆたか、住吉寮、貸席千代乃、料亭町田家、などの記載。

井土ヶ谷(見番跡)現在は町内会館

今回は、井土ヶ谷(神奈川県横浜市南区)の町並みを散歩します。
「横浜市史稿(風俗編)」*1 によると、井土ヶ谷町には、芸妓屋組合事務所(見番)がありました。

現在は、閑静な住宅街となっている場所に、かつての見番の建物が残されています。*2

1937年建築の木造2階建て。見番の建物は、横浜市の歴史的建造物に登録されています。*2

現在は、井土ヶ谷上町第一町内会館になっています。

参考文献

*1 横浜市 横浜市史稿 風俗編 臨川書店 1985
P.545-P546 横浜の芸妓組合事務所の所在地
芸妓屋組合事務所 所在地
*2 タウンニュース社 タウンニュース南区版 井土ヶ谷上町第一町内会館 市歴史的建造物に登録 芸妓稽古場の雰囲気残す 2015/11/19 リンク
井土ヶ谷上町第一町内会(佐々木哲夫会長)が所有する町内会館=井土ヶ谷上町35の23=がこのほど、横浜市…

蒔田(旅館「松島」)永真遊廓の妓楼「松島」が戦時中に疎開。

蒔田の花街の中心だった榎田町の南側(蒔田町)にある旅館「松島」。

旅館の隣には、「料理処・松風苑」が併設されています。

現在も営業中の「松島」は、永真遊廓の妓楼「松島」が戦時中に疎開したものです。*1

旅館脇の庭園。

参考文献

*1 葛城峻 横浜花街史稿 制作のための準備資料集 2013
芸妓屋組合の一覧
蒔田 この地区最大の料亭「平作」は戦後も長期間営業していた。現在営業中の「松島」は永真遊廓の妓楼「…

蒔田(花街跡)料亭「平作」は、戦後も長い間営業。

今回は、蒔田(まいた、神奈川県横浜市南区)の町並みを散歩します。
「横浜市史稿(風俗編)」*1 によると、蒔田の花街は、中区(昭和18年より南区)榎町二丁目にありました。この付近にあった料亭「平作」は、この地区最大の料亭で、戦後も長い間営業していました。*2*3
現在は、マンションになっています。

蒔田見番があった場所。*3

料亭「万二菊」があったあたり。*3

寿司店。

参考文献

*1 横浜市 横浜市史稿 風俗編 臨川書店 1985
P.545-P546 横浜の芸妓組合事務所の所在地
芸妓屋組合事務所 所在地
*2 葛城峻 横浜花街史稿 制作のための準備資料集 2013
芸妓屋組合の一覧
蒔田 この地区最大の料亭「平作」は戦後も長期間営業していた。現在営業中の「松島」は永真遊廓の妓楼「…
*3 葛城峻 横浜花街史稿 制作のための準備資料集 2013
蒔田花街
蒔田見番、料亭「万二菊」、料亭「平作」、料亭「光楽」、料亭「富久本」、等の記載。

吉野町(三業組合跡)隣に料亭「鈴本」。

日本橋花街の南側のエリア(現在の二葉町2丁目付近)にも料亭や置屋が密集していました。1957年の住宅地図を見ると、レストラン「モリヤ」は当時からこの場所で営業しており、その隣には、日本橋三業組合兼日本橋芸妓学校がありました。さらにその隣には、料亭「鈴本」があって、現在は屋号を受け継いだ鈴本ビル(写真右奥の工事中の建物)が建っています。*1

「日本橋三業組合」と思われる建物。

周囲は、マンションなどに建て替わっていますが、1軒だけ当時のままで残っています。

当時の様子が偲ばれます。

【参考文献】
*1 経済地図社:南区明細地図(経済地図社,1957)P.24

吉野町(日本橋花街跡地)アーチがあった場所

今回は、吉野町(神奈川県横浜市南区)の町並みと風俗を散歩します。
現在の吉野町二丁目交差点に、花街だった頃の遺構と言える「日本橋」と書かれた花街の入口を示すアーチがありました(現在は、撤去されています)。*1
日本橋花街は、大正初年頃から市内各所に増えだした横浜の花街の一つでした。*2

「赤線跡を歩く」*1 に写真が掲載されていた旅館「明美」の建物はなくなり、現在は駐車場になっています。

料亭「みどり」があった付近。*3

「料理店」のプレート。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.71
*2 横浜市:横浜市史稿(臨川書店,1985)P.545
*3 経済地図社:南区明細地図(経済地図社,1957)P.22-P.24

真金町・永楽町(永楽湯)レトロな感じの外観です。

永楽町にある銭湯の永楽湯に立ち寄りました。静かな住宅街の中にあって、レトロな感じの外観です。

入口に「永楽湯」と書かれていますが、このタイルの装飾がいい感じです。

美しい煙突。

内装は、外観に比べるとレトロ感はありませんが、脱衣所、浴室ともに天井が高く、風情があります。

真金町・永楽町(旧カフェー街跡地)当時の建物はほとんど残っていません。

真金町・永楽町の遊廓は、昭和33年の売春防止法をもって、その歴史を閉じました。娼家の多くは、カフエ、バーなどの飲食店に転業しました。*1
遊廓時代にきちんと区画された道路には、緑地帯が残っています。

「赤線跡を歩く」*1 で紹介されている「美船」という屋号の建物は既に無く、駐車場になっていました。

同じく、「タイガー」という店名のカフェーだった建物も建て替えられ、今では近代的な住宅となています。

真金町二丁目の通り。写真の左側の建物はスナック、中央の建物は酒屋でしたが、現在は改装されて、住宅になっています。旧スナックの建物の左隣の路地を入っていくと、旧「美船」があった場所に行き着きます。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(筑摩書房,2002)P.124-P.125

真金町・永楽町(大鷲神社の玉垣)桂歌丸さんの玉垣があります。

大鷲神社の玉垣は、最近作られたと思われる新しいものですが、右の角に一本だけ黒御影石でできた古い玉垣があります。

表面の上部には、「遊廓」の二文字が刻まれています。

裏面には、3cm四方の枠入れの穴があり、奉納した年月「明治四十壱年四月納」が刻まれています。大鷲神社は、関東大震災と横浜大空襲により、遊廓とともに消失しましたが、玉垣のうち完全なものを一本だけ再利用したものと推察されています。*1

落語家の桂歌丸さんの玉垣があります。桂歌丸さんが住んでいた家は、真金町の遊廓「富士楼」でした。椎名巌(いわお)少年(本名)は、富士楼を切り盛りしていた祖母に遊廓内で育てられました。巌少年は、店の女の子たちに、「坊や、坊や」と可愛がられたそうです。*2

【参考文献】
*1 中村数男:横浜の遊廓の研究(横浜開港資料館)P.40,P.77
*2 桂歌丸:週刊文春(2002.11.7)「家の履歴書397」P.70-P.73

真金町・永楽町(大鷲神社)明治15年に現在地に移されました。

大鷲神社は、はじめ高島町遊廓の中にありましたが、高島町遊廓が真金町・永楽町に移転されることに伴い、明治15年にこの地に移されました。
大鷲神社の祭事に、酉の市があります。今年の酉の市は、11月4日、16日、28日です。

大鷲神社の中に、稲荷神社があります。
稲荷神社の賽銭箱のところに、遊廓の楼主と思われる2名の寄進者の名前が書かれています。

狛犬の裏側にも寄進者の名前が書かれています。松葉本店の松葉幸次郎は、理容館「永真軒」の顧客名簿(昭和18年7月付)に記載されており*1、当時の松葉楼の楼主であった人物であると思われます。

灯篭にも寄進者の名前が書かれています。「第三長盛」と右から書かれています。理容館「永真軒」の顧客名簿に長盛(支店)の名前があります*1 ので、「長盛の三番目の支店」という意味だと思います。下に書かれている名前は、楼主の名前であると推察されますが、判読が困難です。

横浜の遊廓建設は、「開港条約の締結(1856年)に伴い、必須条件の施設の一要素の一つとして、遊里の設置は、幕府の当事者と某領事との間の非公式折衝に成ったもの*2」とされており、都市建設の中で遊廓が建設されました。*1
作家の山崎洋子さんは、第32回江戸川乱歩賞を受賞した「花園の迷宮」の中で、横浜の遊廓と真金町・永楽町の遊廓について、次のように紹介しています。*3
「横浜の遊廓は、港崎(みよざき)遊廓(万延元年,1860年)に始まる。現在の横浜公園がその場所だ。-中略-だが、色街につきものの大火に何度か襲われ、遊廓はその都度移転した。吉田新田、高島町、そして明治15年に現在の真金町と永楽町の一部に落ち着いた。運河(現在は埋め立てられて大通り公園)を渡った向こうには、私娼街の曙町があり、そこは東京の玉の井同様、迷路のように道が入り組んでいる。しかし真金町は、柳並木の整然とした通りで区切られていた。」
【参考文献】
*1 中村数男:横浜の遊廓の研究(横浜開港資料館)P.1,P.77
*2 横浜市:横浜市史稿風俗編(臨川書店,1985)
*3 山崎洋子:花園の迷宮(1989,講談社文庫)P.32-P.34

真金町・永楽町(森永の牛乳箱)白塗りのエンゼルマーク。

横浜橋商店街の西側の高根町は、昔の風情が残る町並みですが、ここに、森永の牛乳箱が残っていました。

木々緑に囲まれて、郵便受けの下に牛乳箱があります。今まで見てきた森永の牛乳箱とは少し違っています。黄色でなはく、やや黄土色がかった黄色です。

最大の特徴は、白塗りのエンゼルマークです。

ロゴもはっきりと残っています。「ウルトラ・プロセス」に加え、ホモ牛乳の「ホモ」の文字があります。保存状態の良い名品です。

真金町・永楽町(理容室、美容院)10軒ぐらいあります。

真金町・永楽町には、理容室、美容室がたくさんあります。ざっと数えただけでも10軒ぐらいあります。
横浜橋商店街にある理容室。レトロな感じです。

横浜橋商店街と交差する狭い路地にある美容院。ピンクのタイルの装飾が特徴です。

横浜橋商店街の西側の高根町1丁目の美容院。2階には工務店の看板があります。

入口には、「パーマ」と手書きで書かれた看板があります。

真金町・永楽町(横浜橋市場)魚屋と立ち飲み屋。

今回は、真金町・永楽町(神奈川県横浜市)の町並みと風俗を散歩します。
京浜急行の黄金町から5分ほどのところに横浜橋商店街があります。
商店街の中ほどで、鮮魚店や精肉店が並ぶ路地が交差します。

路地の中に入っていきます。短いですが幅が狭く、昭和の時代を感じる路地です。

路地を抜け、逆方向から見ると、「横浜橋市場」と書かれた看板があります。なぜか鉄腕アトムが描かれています。

隣では、一杯飲み屋が営業中です。