熱海市街を糸川が流れます。
糸川べりの私娼街は、「寝てたべる」というので「牛」とよばれていました。その後、糸川べりにそば屋が多かったことから、「牛」は「ざるそば」という隠語で呼ばれるようになりました。「ちょっとそばを食べにいこう」というのが、女を買いに行くという意味となっていました。*1
現在の糸川べりは、八重桜が植えられ、草花が咲く遊歩道となっています。
娼家は、表向き2階建て、実は3階建てというものが多かったそうです。つまり、屋根裏部屋にあたる隠し3階が存在していました。また、階段も2ヶ所あり、いざというときに逃げ出しやすくなっていました。*2
【参考文献】
*1 熱海市史編纂委員会:熱海市史(熱海市.1968)P.248-P.249
*2 熱海市職員組合連合会:道標62号(1984.7)P.3