甲府の遊廓は、明治時代、増山町にあり、「新柳町遊廓」と呼ばれていました。明治40年、廓内から出火した大火により、22の妓楼のほとんどが焼けたため、まもなく穴切(現在の宝1丁目)に移転しました。*1
穴切遊廓は、穴切神社の北側。現在の宝1丁目にありました。「甲府市街全図」*2 に、整然と区画された穴切遊廓が記されています。
遊廓があったと思われる一画。
旧地名である「アナギリ」のプレート。
南側には、黒板壁が美しいお屋敷がありました。
【参考文献】
*1 山梨県立図書館:甲州文庫史料第1巻(山梨県立図書館,1973)P.284
*2 甲府商業会議所:甲府案内(甲府商業会議所,1918)「甲府市街全図」