鍬ヶ崎遊廓は、近世の頃は現在の日影町附近にありましたが、幕末から明治にかけて遊廓は、鍬ヶ崎上町に移動しました。*1
明治18年、貸座敷営業許可地に指定されたとき、娼妓は47名で、この数は岩手県全体の約半数でした。*2
鍬ヶ崎上町1丁目のプチホテル海幸園の近くに、当時のものと思われる建物が残っています。
地元の方に話しをお伺いしたところ、現存しているのはこちらのお宅1軒のみだそうです。
堂々とした木造建築です。
入口附近。
【参考文献】
*1 沢内勇三:鍬浦史話(郷土史同好会,1955)p.85
*2 渡辺憲司:江戸遊里盛衰記(講談社,1994)P.102