二本木遊廓にあった東雲楼は、廓中第一流の大籬(おおまがき)としてその名を全国に知られた遊廓でした。構内は広く、数棟の巨屋が軒をならべて建ち、広大な庭園を有していました。*1
東雲楼の一部の建物が現在も残っています。*2
残念ながら近日中に取り壊されることが決定されているようです。
1900年(明治33年)、東雲楼の娼妓たちが待遇改善を求めてストライキを決行。東雲楼は、一躍有名になりました。*3
玄関の床のタイル。
当時のままと残されているレンガの塀*2
【参考文献】
*1 津留豊:熊本の遊びどころ(舒文堂河島書店,2006)P.37(明治42年発行の同名の書籍の復刻版)
*2 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.59
*3 佐渡資生:味と歓楽五〇年 くまもと夜話(味と歓楽50年出版委員会,1984)p.171
「熊本(東雲楼)取り壊し間近。当時のままと残されているレンガの塀。」への4件の返信
東雲楼の創業者「中島茂七」さんは、女優中島葵さんの母方の曾祖父だというのを、つい最近知りました。中島葵さんといえば、愛のコリーダで、料理屋吉田屋の女将さんを演じていたことが強烈に印象に残っています。その後は、吉原炎上にも出演されていましたね。愛のコリーダの阿部定も遊廓にいたし、この2作品の出演の話が来た時、中島葵さんは何を思ったことでしょう。聞いて見たかったものです。
定マニアさん
「東雲楼」創業者を曾祖父に持ち、「愛のコリーダ」「吉原炎上」に出演されるとは、血筋を感じますね。
情報ありがとうございます。
もう壊されたのでしょうか?大変貴重な建物です。熊本の画家、高橋廣湖が養子縁組した、東京 品川の幕末最後にして最高の花魁とうたわれた、今紫が旅芸人として出会った場所です。しかも、その今紫は明治のあらゆる官僚から寵愛を受け、明治期の暗殺事件に関与した岡崎恭輔との関係は、文書に残るくらいのものでした。かなり貴重だと思います。
藤田さん
建物は、もう取り壊されていると思います。レンガの塀ぐらいは残っているかもしれません。
高橋廣湖の情報ありがとうございます。
画家が花魁と出会った場所だったとは、何ともロマンチックなお話ですね。