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関内(日米和親条約締結の地)その後、外国人相手の遊廓が開業。

今回は、関内(神奈川県横浜市中区)の町並みを散歩します。
横浜港の大桟橋近くにある開港広場

ここに「日米和親条約締結の地」の碑があります。

日米和親条約(1854年締結)は、鎖国制度が破られた歴史的条約です。*1

4年後(1858年)には、タウンゼント・ハリスと日米修好通商条約が締結され、このときのハリスの要請により、外国人の相手を目的とした港崎遊廓が関内(現在の横浜球場付近)に開業されました。※1

参考文献

*1
山川出版社日本史小辞典日本史広辞典編集委員会
日米和親条約

1854年3月31日(安政元年3月31日)江戸幕府がアメリカ使節ペリーと横浜で締結し…

参考記事

※1関内(岩亀石灯籠)横浜公園の中に移設された岩亀楼の遺構。※2関内(横浜公園)明治時代、港崎遊廓があった場所です。

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