今回は、鰺ヶ沢(青森県西津軽郡鰺ヶ沢町)の町並みと風俗を散歩します。
鰺ヶ沢の新地は、昔有名な遊廓街でした。藩政時代は、旅人、船頭、荷主たちで賑わい、津軽の吉原と言われました。*1
新地町の標柱。次のように書かれています。「古くは海士町(漁師町)の一部。後町や青楼ともいわれ、元禄16年(1703)の絵図に新地町戸数31とある。鯵ヶ沢の盆踊りの唄「鯵ヶ沢くどき」の中に、「奥州津軽の鯵ヶ沢港、新地開いた狐のくどき」と唄われ、遊女町として栄えた。」
「赤線跡を歩く」に掲載されていた妓楼らしき建物*2 は、無くなていました。
中村楼、西港楼、丸海老楼、一二三館、などの妓楼が建ち並んでいました。*3
中村楼は、新地で随一の遊廓で、200年以上続き、その昔、加賀の豪商銭屋五兵衛が鰺ヶ沢に来た時中村楼に泊り、取引のかたわら豪遊した話は有名でした。*1
中村楼は、昭和7年の大火で新地が焼けるとともに廃業。主人の中村さんはその後、割烹「水天閣」を開業、現在に至っています。*4
【参考文献】
*1 陸奥新報社:写真でみる弘前市70年(陸奥新報社,1959)P.90
*2 木村聡:赤線跡を歩く 完結編(自由国民社,2007)P.60-P.61
*3 東京交通社:大日本職業別明細図 第243号 青森県(東京交通社,1937)
*4 陸奥新報社:わがふるさと第一編(陸奥新報社,1960)P.14