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大野(かつての遊廓街)新明町、日吉神社周辺

大野町では、二度続いた大火の後、それまで悪所とし町の裏通りに散在していた家々を一ヵ所に集めることを決定され、その場所として、上寺町の瑞祥寺、岫慶寺、恵光寺、蓮光寺の裏地と、それに神明神社、日吉神社(山王さん)付近の畑地などが選ばれ、大野の新明町は、貸座敷業(遊廓)の繁栄によって賑わいました。明治39年の県税納税者の上位ランクには、面影楼、開運楼、松清楼、永楽楼などの名前がありました。*1

日吉神社付近(写真左奥)は、料亭と貸座敷が林立していたところですが、今は往時の姿はありません。*2

当時、「さんのうへ、行ってこかや。」という短い言葉は、貸座敷での遊びの誘いの意味になっていました。*1

堀の石垣。

参考文献

*1
福井新聞旧町名は語る大野編8-旧神明町の盛衰(下)福井新聞 3月22日福井新聞1997.3.22
P.16 大野の神明町向島で鉱山景気の内に繁栄を極めた「製錬社」が、明治32年以後操業を停止し、働いてい…
*2
坂田玉子写真集明治大正昭和大野国書刊行会1979
P.110 山王さん附近の料亭 日吉神社の鳥居の右手の堀に面した欄干にに夏衣の芸妓がよりそう(写真)。

参考記事

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