「当時の遊廓の町並み」*1 によると、河和田街道(国道417号線)沿いの弁天橋の西側が遊廓への入口で、菓子屋、ヘンクツ屋食堂、クリーニング、うどん、そば、金花楼、以上東側(写真右側)、小間物屋、駄菓子屋、以上西側(写真左側)が並び、その奥に、市橋楼、弁天座、泉谷支店、開進楼がありました。
「弁天」の電柱番号札。
写真手前から、市橋楼、弁天座、泉谷支店、開進楼、と並んでいました。*1
現在は住宅地になっていて当時の面影はありません。
市橋楼の東側(写真右側)には、射的場、髪結、斡旋屋が並んでいました。*1
弁天遊廓を取り仕切っていた市橋楼(初代は福井からやってきた人)には、若い衆や女たちが沢山いました。*2
鯖江(弁天遊廓跡)現在は住宅地
参考文献
*1
鯖江むかしむかし編集委員会*鯖江むかしむかしP.196-P.205惜陰小学校2002
P.119
弁天橋、市橋楼、弁天座、泉屋支店、開進楼、などの記載あり。
*2
三輪信一鯖江今昔鯖江今昔刊行会1981
P.159-P.161
廓まち「弁天物語」
江戸時代中期に鯖江藩ができて武士や用人たちをはじめ、本山参りの人々…