明治元年(1868年)官軍の奥羽鎮撫(ちんぶ)総督に就任した九条道孝が、官兵1300人を率いて盛岡に到着すると、官兵のために茶屋を許しました。これが八幡町の花街(貸座敷)の元となりました。*1*2
八幡町に隣接する松尾町に料亭風の建物が数軒ある一画がありますが、ここが花柳界のあるところで、それ以前は遊廓の中心部でした。*3*4
交差点のところに、モダンな建物があります。
側面から見たところ。
建物正面の装飾は、木材でできています。
【参考文献】
*1 盛岡の歴史を語る会:もりおか物語2-八幡町かいわい-(熊谷印刷出版部,1974)P.97
*2 森ノブ,多田代,岩手県文化財愛護協会編:三盛岡市の歴史 下 (熊谷印刷出版部,1992)P.55
*3 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.91
*4 木村聡:赤線跡を歩く【完結編】(自由国民社,2007)P.87