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戸ノ内(新地の大通り)ゴルフ場は紡績工場跡地

モスリン橋を渡って100mほど北へ進んだところが、戸ノ内町の大通りです。

戦後、尼崎市には無数の風俗店が点在し、風俗業者のみながらず、パンパンガール(立ちんぼ)も多く、治安の悪化を招いていました。風紀の乱れを気にした尼崎市は、1952年「尼崎市売春等取締役条例」を制定しました。条例による直接的な効果はありませんでしたが、業者たちは世間の風当たりの強さを感じ、「尼崎全特飲業組合連合会」を結成。初島(尼崎市)と戸ノ内に集団移転しました。それぞれ、戸ノ内新地、初島新地として1955年政府公認の赤線地帯として営業を開始しました。*1

お遊びは、客引きの婆さんとの交渉から始まり、顔を見て相手を決めることができず、好みのタイプを伝え、派遣してもらう置屋スタイルです。交渉が済むと大通りより西側にある旅館に招かれ、そこで派遣された姫と一時を過ごします。*1
現在も旅館らしき建物が残っています。

戸ノ内三丁目のバス停近くにあるゴルフ場は、紡績工場跡地です。*2

【参考文献】
*1 裏ネタJACK(2007.6)P.144-P.145 「風俗・ザ廃墟 あの伝説の名店は・・・戸ノ内新地編」
*2 森栗茂一:河原町の歴史と都市民俗学(明石書店,2003)P.381-P.382

参考文献

参考記事

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上野(前田モスリン店)歩道橋から見えるモスリン(織物)の看板。

「戸ノ内(新地の大通り)ゴルフ場は紡績工場跡地」への2件の返信

私はこの辺りで生まれたそうです。4歳まで住んでいました。
うちは飲食店をやっていました。お隣はホルモン焼き屋だったと母が記憶しています。近所に材木店があってそこの同じ年頃のひでおちゃんと呼んでいた男の子が唯一お友達として覚えています。
昭和31年~34年の記憶です。毎日モスリン橋を渡って父に会いに行ってと聞い出ました。34年には豊中に引っ越ししました。

山本さん
昭和31年~34年の貴重なお話、ありがとうございます。

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