大正14年、岩見沢の大火で三条遊廓が焼失し、その頃、繁華街に混在する遊廓に風紀上の理由から非難の声もあがっていたことから、遊廓は、大火後の昭和3年に元町へ移転しました。*1
このあたりに大門があって、左側に4軒、右側に3軒の遊廓があり、元町遊廓は7軒街と呼ばれました。*2
遊廓の三方は蛇行した幾春別川に囲まれていましたが、そのうちの一方は埋め立てられて元町公園となっていて、辛うじて昔の川の跡を推測することができます。*3
このあたりには、長平橋という橋がありました。遊廓の土地の所有者の石黒長平氏が遊客の便を考えて幾春別川に橋を掛けたことから長平橋と呼ばれていました。遊廓の入口にあった大門から北西に幾春別川を横断して北本町の端に通じていましたが、昭和17年に老朽化のため撤去されました。*4
現在、遊廓の建物は解体されて、当時の面影はありません。唯一、豊水楼の建物が最近まで倉庫として残っていました。*2
その建物も解体され、現在は高齢者専用賃貸住宅が建っています。
【参考文献】
*1 岩見沢の女性史『あかだもの里』編纂委員会:あかだもの里(北海道女性の自立プラン岩見沢推進協議会,1994)P.32
*2 郷土史を学ぶ会:郷土史いわみざわ.第1集(郷土史を学ぶ会,1987)P.140-P.143
*3 和田高明:まるごとポケットガイド郷土かるた(和田高明,2006)P.43
*4 郷土史を学ぶ会:郷土史いわみざわ.第3集(郷土史を学ぶ会,1995)P.36
「岩見沢(元町遊廓跡地)7軒街と呼ばれた元町遊廓。」への3件の返信
元町遊郭は三条遊郭へ移転し、大火で昭和3年に元町遊郭に戻りましたが
いつまで元町遊郭が営業していたのですか?
時田和司さん、
「郷土史いわみざわ.第1集」によると、
昭和15年以降徐々に廃業し、昭和31年の買春防止法の施行によって、
約30年にわたる元町遊廓の歴史は、終止符がうたれたそうです。
情報有難う御座います。今年に入り、最後迄あった遊廓(豊水楼)の建物が取り壊されました。廃業後は何に使用されていたか定かではありませんが、お祭りの太鼓等を保管する倉庫として使用していた様です。