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秋田(川反通り入口の行燈)川反芸者と秋田美人。

今回は、秋田(秋田県秋田市)の町並みと風俗を散歩します。
秋田市川反(かわばた)は、古い歴史を持つ市民遊興の地として、全国的に名声が轟いています。*1
川端(川反)は、秋田市内の旭川の岸に芸者屋・料亭等軒を並べた一廓にあって、元は米町にあった遊廓と一緒だったのが、明治20年頃の大火の際、遊廓は市街外れの南鉄砲町に遷され、芸者屋は分離して旭川橋畔川端に移ったものです。*2

二丁目橋交差点を渡った川反通りの入口にあたる歩道脇に、「川反さいぐきたなあ」(=川反へようこそ)」と書かれた大きな行灯(あんどん)が設置されています。

川反芸者は、純粋な秋田っ子でなければならず、それ故、子供の頃から養子入籍をさせて舞妓に、舞妓から芸妓に仕立て上げ、移入はほとんど無かったことから、舞妓が多いのが特色で、特有の「川端情緒」なるものが醸し出される原因の一つはここにありました。*2

「全国花街めぐり」の著者の松川次郎さんは、秋田美人と川反芸者について、「新潟から秋田、津軽に一大美人系があり、色白く皮膚は滑らかで頭髪が美しく、性格はしとやかで東京風のおきゃんな面白い芸者は稀であるが、情合は甚だ濃厚。」*2 と述べています。

【参考文献】
*1 黒川一男 著:川反いまむかし(無明舎出版,1995)P.8
*2 松川二郎 著:全国花街めぐり(誠文堂,1929)P.708-P.717

参考文献

参考記事

「秋田(川反通り入口の行燈)川反芸者と秋田美人。」への2件の返信

明治のいつ頃の事かはハッキリしませんが、料亭や旦那衆が集まり、川反を全国一の遊興地にしようと各地(多分関東以北)から美女を募集し川反芸者を一新したと何かの本か記事で見たことがあります。秋田美人はもともとあったものではなくキレイどころの芸者衆を揃え、つまり秋田美人とは川反芸者のコピーではなかったかと思っております。

関根淳市さん
なるほど。秋田美人のルーツは花柳界だったのですね。

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