東新町は、出雲街道の中でも、近世、最も栄えていました。
旧天神橋袂の吉井川には船着場があり、船が着くと多くの下船客のために便所がいっぱいになるほど繁盛しました。*1
東新町には、肥後屋、若狭屋、高尾屋、松本屋などの屋号の船宿があって、船宿では料理を出し、性的な待合機能もありました。*1
旧天神橋から東新町へ向かう途中の道。
【参考文献】
*1 森栗茂一:河原町の歴史と都市民俗学(明石書店,2003)P.396-P.397
東新町は、出雲街道の中でも、近世、最も栄えていました。
旧天神橋袂の吉井川には船着場があり、船が着くと多くの下船客のために便所がいっぱいになるほど繁盛しました。*1
東新町には、肥後屋、若狭屋、高尾屋、松本屋などの屋号の船宿があって、船宿では料理を出し、性的な待合機能もありました。*1
旧天神橋から東新町へ向かう途中の道。
【参考文献】
*1 森栗茂一:河原町の歴史と都市民俗学(明石書店,2003)P.396-P.397
「津山(東新町)江戸時代、船宿がありました。」への2件の返信
若狭屋久蔵が1810年代に大隅神社へ奉納していますが、いくら寄付したのでしょうか?当時若狭屋は結構繁盛していたのでしょうか?
200年余り前の先祖(多分私の6代前)を偲び、興味は尽きません。
棟田祥郎さん
若狭屋の情報ありがとうございます。
津山の大隅小路周辺には、船宿の建物が残されているようなので、
もう一度訪れてみたいです。