今回は、本庄(埼玉県本庄市)の町並みと風俗を散歩します。
明治・大正時代、本庄は県北の養蚕地帯の中心都市でした。本庄では、蚕糸の海外輸出から糸ヘンに関するあらゆる業種と仲買、買継業者の数が多く、これらの商取引に付随して利用される料亭、貸座敷、芸妓置屋が多数存在したのもこの町の特徴でした。*1
現在の本庄郵便局があるあたりには、貸座敷の杉山楼、関口楼、山幸楼がありました。*1
山幸楼があったあたり(足利銀行近く)。
「埼玉県営業便覧」には、当時の繁華街の店列図(家並図)が記載されており、この店列図には、それぞれの商店の業種、屋号、店主名が銘記されています。山幸楼の店主は、橋本録郎と記されています。*1
「橋本」の名を配した鬼瓦。「山+文字」形式と思われる紋章の「Λ」の下に描かれているのは、「幸」の文字でしょうか。
【参考文献】
*1 田口浪三,高柳鶴太郎:埼玉県営業便覧(全国営業便覧発行所,1902)