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滑川(料亭「清水花壇」跡地)常盤遊廓の始まり

今回は、滑川(富山県滑川市)の町並みと風俗を散歩します。
滑川駅北口を出て、交差点を左へ進むと、「厚生連滑川病院」の大きな建物が見えてきます。
この場所には、当時滑川で唯一の料亭兼鉱泉であった料亭「清水花壇」がありました。*1

料亭「清水花壇」の前身は、天保14年(1843年)に、綿屋五郎兵衛と九三郎が開業した「孝徳泉」という湯小屋でした。「孝徳泉」は、多くの浴客が集まり賑わったので、弘化年間(1844年~)に、瀬羽町の仙良という者が浴客を相手に女郎屋をはじめ、これが滑川の遊廓「常盤遊廓」の始まりとなりました。妓楼は、北陸街道の町はずれに建てられ、一帯を「新屋敷」と称するようになりました。*2

今は、かつのて面影はありませんが、ときわ町の町名は現在に至っています。*2

明治33年、県は貸座敷の免許区域を県内14ヶ所に指定し、そのうちの1ヶ所が滑川町常盤町でした。従来、北陸道沿い(新屋敷)に散在していた業者は、順次免許地内に移り、常盤遊廓が形成されました。*2
常盤遊廓は、「厚生連滑川病院」の近く、真證寺の北側(写真中央のあたりを左折したあたり)にありました。*1

【参考文献】
*1 郷土出版社:目で見る滑川・新川・婦負の100年(郷土出版社,1993)P.48,鳥瞰図
*2 金子忠雄:近代史研究 第17号(富山近代史研究会,1994.3)P.39,P.41「滑川町常盤遊郭の起こりと変遷」

参考文献

参考記事

「滑川(料亭「清水花壇」跡地)常盤遊廓の始まり」への2件の返信

私の父は大正2年生まれで滑川育ちの人でした。他界して二十数年になりますが、先日、亡父が残した滑川時代の思い出の原稿を目にしました。当時の常盤町界隈に住んでいたようです。
大正年間にコレラが流行り患者が避難院から運び出される様子などが細かく記されていました。 また、当時、私の父の義父がよく出かけたという ”清水花壇”についても記述がありました。日比谷花壇は有名ですが、清水花壇 とは?思わず検索した次第です。

たしかに、花壇という屋号は、他に聞いたことがありませんが、いい名前ですね。

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