旅館「栄楽屋」は、遊廓当時のままに残されていた建物で、強者共の夢のあとを偲ばせていました。*1
平成16年、佐志生の老舗旅館「川口屋」が、「栄楽屋」を建て替え「川口屋別亭久楽」をオープンしました。*2
「久楽」の名は、創業者の「久吉」と「永楽屋」から取って名付けられました。*2
旅館からは、下ノ江の風光明媚な景色が見渡せます。
旅館「栄楽屋」は、遊廓当時のままに残されていた建物で、強者共の夢のあとを偲ばせていました。*1
平成16年、佐志生の老舗旅館「川口屋」が、「栄楽屋」を建て替え「川口屋別亭久楽」をオープンしました。*2
「久楽」の名は、創業者の「久吉」と「永楽屋」から取って名付けられました。*2
旅館からは、下ノ江の風光明媚な景色が見渡せます。
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下ノ江港は帆船時代の風待ちの港であり、5万石城下臼杵の港でもあっ…
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川口屋は大正3年創業の老舗旅館です。
平成16年に、下ノ江美崎にあっ…
「下ノ江(遊廓「栄楽屋」跡地)現在は「久楽」」への2件の返信
すみません。
こちらが遊郭だったという資料残ってます?
当時の経営者の親戚ですが民宿と聞いてたので遊郭だったというのは信じられなくて…
のこさん
参考文献のリンクや要約をつけましたので、ご確認ください。
臼杵商工会議所ニュース第624号に、「川口屋(大正3年創業の老舗旅館)が平成16年(2004)に、下ノ江美崎にあった旅館「永楽屋」を建て替え、「川口屋別亭久楽」をオープンした。」とあり、
臼杵物語(1978)には、「永楽屋は遊廓当時のままに残されていた。」と書かれています(おそらくこのときは旅館に転業していたのだと思います。)。
「全国遊廓案内」によると、「妓楼は、花屋、永楽屋等が有名」だったそうです。