新人物往来社 江戸史跡事典 下巻 谷根千地区・文京区・台東区・墨田区・江東区・荒川区・葛飾区・江戸川区 2007

高尾太夫墓

P.114 (春慶院 東浅草2-14-1) 高尾太夫とは、江戸時代、新吉原京町一丁目三浦屋の名妓につけられた名である。11人ほどが名乗ったことが判明しているが、高尾という名は、吉原の最高級遊女の代名詞的存在でもあった。 最も名高いのが二代目高尾、世に万治高尾、仙台高尾と呼ばれた女性である。仙台藩を巡るお家騒動「伊達騒動」が芝居化されて上演、そのなかで、藩主伊達綱宗とのロマンスで有名になった。

おいてけ堀・本所七不思議

P.133
この堀はよく魚が釣れたところだったが、夕方になって釣り人が帰ろうとすると、堀の中から「おいてけ」「おいてけ」という声がする。そのまま帰ると、途中で釣った魚がなくなっていた。それで「おいて堀」と呼ばれた。「魚と伝説」(新潮社)の著者末広恭雄教授によると、これはなまずの親戚でギバチという魚のことはないかといい、矢田挿雲(そううん)「江戸から東京へ」は「声の主は狸」(第五巻)として狸の恩返しで仇討ち話に作られている。

矢切の渡し

矢切の渡しは、寛永八年に関東郡代伊奈半十郎を管理者として幕府が始めた公営の渡し場で、「近郷の木こり、草刈、工作人の他は、いっさい川向うへ通してはならない。」と規定されていた。今も残る「観光渡船」矢切の渡しは、都内唯一の渡し船となっている。