榎本正三女たちと利根川水運崙書房利根川叢書 ; 4崙書房出版
河岸と瞽女

P.184
別所の集落の分かれ道の近くに別所の地蔵寺があり、仁王門のそばに一基の手水石が奉納されている。享和3年(1803)別所村の瞽女キヨと若者中が願主となり、有力者などの賛同を得て奉納されたものである。瞽女が願主となって造立した石造物は現在のところ、これが唯一基で、それだけでも希少価値がある。瞽女(ごぜ)とは室町時代以降に現れた三味線を弾き、歌をうたって渡世する盲女をいうが、祈祷などの宗教的な要素はなくなり、単なる遊芸人に変わってくる。江戸時代になると、瞽女仲間を作ったりして集団化され、各地を遍歴することが定着する。昼は門付、夜は宿で「よせ」を行って娯楽の少ない農山村の人々を楽しませていた。こうした風習も昭和の戦争期を境にぱったりと途絶えてしまった。

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印西(地蔵寺の手水石)瞽女が願主となって造立した石造物。