倉賀野神社倉賀野神社倉賀野神社 リンク
御由緒

江戸時代は中山道倉賀野宿と近隣七ヶ郷の総鎮守として崇敬を集めた。旧社名は飯玉(いいだま)大明神。延享4年(1747)御本社造営。寛政元年(1789)御本社修復。現在の社殿は、元治2年(1865)3月に上棟式、翌慶応2年(1866)9月に遷宮式が行われたもの。

明治10年大国魂神社と改称、同43年に近隣の数社を合併して倉賀野神社と改称した。

飯盛女の名を刻んだ石玉垣 リンク

石の玉垣(たまがき)に「金沢屋内 りつ ひろ きん」などと女性の名が刻まれている。築造年代は不明であるが、江戸時代の天保期頃ではないかと推測される。

もともとは中山道倉賀野宿の太鼓橋の近く、横町(よこまち)の冠稲荷(かんむりいなり)さまにあった玉垣だが、明治末の神社合併で御祭神が倉賀野神社に遷されたたため、この境内に移築されてきた。

飯盛女(めしもりおんな)は旅籠屋一軒につき二人までと幕府の規制があったが、実際にはもっと多くの女性が遊女としておかれていたという。遠く越後などから奉公に出され、宿場の繁栄を陰で支えた女性たち。その厚く信仰した稲荷さまであった。