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飯盛女の名を刻んだ石玉垣 リンク

石の玉垣(たまがき)に「金沢屋内 りつ ひろ きん」などと女性の名が刻まれている。築造年代は不明であるが、江戸時代の天保期頃ではないかと推測される。

もともとは中山道倉賀野宿の太鼓橋の近く、横町(よこまち)の冠稲荷(かんむりいなり)さまにあった玉垣だが、明治末の神社合併で御祭神が倉賀野神社に遷されたたため、この境内に移築されてきた。

飯盛女(めしもりおんな)は旅籠屋一軒につき二人までと幕府の規制があったが、実際にはもっと多くの女性が遊女としておかれていたという。遠く越後などから奉公に出され、宿場の繁栄を陰で支えた女性たち。その厚く信仰した稲荷さまであった。

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倉賀野(倉賀野神社)文久3年、三国屋つねが寄進した常夜灯。