今回は、吉原(東京都台東区)の町並みと風俗を散歩します。
土手通りを紙洗橋交差点から南西方向に折れ、100mほどのところに銭湯の鶴の湯があります。

レトロな雰囲気の残る銭湯です。

入口。

ラドン風呂の装置と傘入れ。

今回は、吉原(東京都台東区)の町並みと風俗を散歩します。
土手通りを紙洗橋交差点から南西方向に折れ、100mほどのところに銭湯の鶴の湯があります。
レトロな雰囲気の残る銭湯です。
入口。
ラドン風呂の装置と傘入れ。
小樽市信香町にある小町湯温泉は、北海道最古の公衆浴場です。*1
明治10年頃の小樽の古地図に土場町(現在の信香町)に湯屋の記載があり、それが小町湯の前身といわれています。*1
夜の小町湯温泉。
小町ゆ温泉。
【参考文献】
*1 小町湯温泉の名刺
国道101号線沿いの狼野長根公園近くに、レトロな外観の「観光ホテル夢野温泉」があります。
玄関には、艶っぽい看板。
レトロな館内。宿泊もできます。
脱衣場。
倉敷市の美観地区の北側(鶴形2丁目)に銭湯のえびす湯があります。
「ゆ」と書かれた灯り。歴史を感じます。
太い煙突。
ロッカーには、漢数字で番号が書かれています。
犬山駅からバスで約1時間。博物館明治村に到着です。
明治村は、明治時代の貴重な建物を移設・保存するこをと目的に開園されました。
大阪府池田市にあった芝居小屋の呉服座。重要文化財です。*1
内部は、当時のまま、保存されています。
【参考URL】
*1 博物館明治村:呉服座(重要文化財)
薬研掘の南側にある音戸温泉。歓楽街の中にあります。
同じビルには、フィリピンパブの看板。
広島の名湯です。
入口には、木製の看板。
牛窓に女郎屋が誕生し、花街がいつ頃できたか、今のところこれを立証する文献はないが、曲直瀬玄朔(まなせげんさく)の「医学天正期」に戦国大名の宇喜多直家が、梅毒で苦しみ療養したことが記述され、これは倭寇が異国から牛窓に移入したものだと説いており、牛窓が日本花柳病の根源地だと指摘しているから、その頃牛窓にはすでに女郎屋があったと推察されます。明治時代の下行場の遊廓は、東側の角市、北側の奈良亀、福本屋、玉津屋、西側の小野屋、山松の6軒でした。そのうちの角市は、現在の「川源別館」です。*1
南側から。
川源別館は、割烹料亭として営業中です。
裏側の木戸。風情があります。
【参考文献】
*1 刈屋栄昌:牛窓風土物語(牛窓郷土研究会,日本文教出版 (製作),1973)P.21,P.64
室津の市街に残る銭湯の「いなり湯」。
温泉マークが描かれています。
銭湯の脇は、雰囲気のある路地になっています。
煙突。
今回は、上関(山口県熊毛郡上関町)の町並みと風俗を散歩します。
上関は、室津半島の先にある長島の北東端に発達した港町で、かつては、帆船が潮待ち、風待ちをする寄港地として賑わいをみせたところです。*1
昭和11年の市街図*2 によると、福浦港付近の海岸線に貸座敷の「山水亭」がありました。
1990年の住宅地図*3 によると、このあたりに同じ屋号の割烹旅館「山水」がありました。「山水亭」の名残かもしれません。
海岸線に沿った道路とは別に山側にもう1本道が続いています。
このあたりは、「新地」という地名で呼ばれていました。*3
【参考文献】
*1 谷沢明:瀬戸内の町並み(未来社,1991)P.37,P.91
*2 東京交通社:大日本職業別明細図(東京交通社, 1937)第450号 山口県
*3 ゼンリン:熊毛郡No.2田布施町・平生町・上関町(ゼンリン,1990)P.136
今回は、湯本温泉(山口県長門市)の町並みと風俗を散歩します。
音信川沿いにある公衆浴場の「恩湯」(おんとう)は、赤い瓦屋根と「湯本温泉」のネオンが特徴です。
なつかしさが漂うネオン看板。
源泉かけ流しの公衆浴場です。
みすゞ通りの商店街で見かけた仙崎の市街図に、銭湯の仙崎湯跡が記載されています。
場所は、遊廓街へ向かう道の途中です。
仙崎湯跡。建物は、蔦で覆われています。
円型の窓を持つ洋風の建物です。
この日は、旅館福山荘に宿泊。昔ながらのレトロな旅館です。
広くて豪華な部屋。
夕食は、お膳に置きくれないくらいの皿数の多さです。
コップ一杯のどぶろくがサービスでつきます。プチプチと音をたてて泡が出ていました。
釜石市街になる銭湯の「鶴の湯」。
油田型の煙突。
入口には、アジサイが咲き誇っています。
「鶴女湯」「鶴男湯」と表示されています。
今回は、気仙沼(宮城県気仙沼市)の町並みと風俗を散歩します。
気仙沼市魚町1丁目の亀乃湯は、震災後、見事に復興を果たしたことで、テレビや雑誌で報道されている銭湯です。
周囲に他の商店は、ほとんど見当たりません。
立派な煙突。
塩釜市本町の商店街には、古い建物が多く残っています。
レトロな美容室。
横からみると、看板建築であることがわかります。
側面には、小さなドアや窓が密集しています。
若柳の本吉街道は、看板建築の建物が建ち並ぶ商店街です。
パーマ(美容室)の看板。
ノスタルジックな雰囲気が漂います。
別の美容室の花嫁看板。
若柳の中心部は、若柳側の北側の川北元町から本吉街道にかけてのあたりです。
菅原写真館は、昭和6年の「若柳町全図」にも記載されている写真館です。
マンサード屋根の建物が特徴です。
北側の用水路から見た写真館。
佐賀関の臼杵湾側。古い美容室の建物が残っています。
テルミ美容室。錆びた看板がいい雰囲気です。
鮮やかな黄緑色のタイル。
窓枠は、ねずみ色。
島鉄バスターミナル近くにある宝来泉浴場。
現在は、休業中です。
コンクリート造りの銭湯です。
バスターミナル側から。
稲栄遊廓跡地内の錦神社の隣にある銭湯の草津湯。
昭和12年(1937年)の 「稲栄錦町遊廓明細図」*1 にも記載されている銭湯です。
「草津湯」の英語表記。
近くには、燃料と思われる廃材置き場がありました。
【参考文献】
*1 稲川勝二郎:歓楽の名古屋(趣味春秋社,1937)P.46-P.47「稲栄錦町遊廓明細図」
青梅街道の南側に、映画看板が掲げられた古い建物が残っています。
レトロなとんかつ屋さんの「もりたや食堂」
現在は、休業中です。
森田屋。
旭町の旧花街*1 に銭湯の建物が残っています。
文字が欠けてしますが、「富喜湯」と判読できます。
前面がコンクリートで装飾された看板建築。建物は木造です。
銭湯は、関西本線の線路脇に建っています。
【参考記事】
*1 風俗散歩(富田):旭新地跡
尾張瀬戸駅の南東側(銀杏木町)にある日本鉱泉。県道57号線沿いにある珍しい屋号の銭湯です。
玄関付近。
玄関脇には、どらえもん。
建物の背後から。太いコンクリートの煙突が突き出ています。
宮西町3丁目にある銭湯の旭湯。大型の建物です。
本日は休業日のため、シャッターが閉じられたままになっています。
建物の側面。
裏側へ回ると大きな煙突を見ることができます。
浅草六区の繁華街の中。銭湯の「蛇骨(じゃこつ)湯」の看板があります。
路地の奥まったところにあります。
蛇骨湯の入口。
券売機には、英語、中国語、韓国語の表記があります。外国人観光客の利用も多いようです。
能代駅から北側へ向かって歩いていくと、銭湯の巴湯があります。
建物には、商店が併設です。
見事な看板建築です。
温泉マークの看板。
阿仁町の商店街。
理容室と思われる昭和レトロな建物です。
いろいろな形の小さな窓が複雑に組み合わされています。
「押し売り物もらい一切お断り」のプレート
大曲市街の丸子川を渡ったあたり。
古いお菓子屋さんの建物が残っています。
モダンな装飾です。
鮮やかな緑色の円柱。
中村旅館(旧遊廓)の前の通りを南側へ進むと商店が建ち並んでいる一画があります。
年代を感じる理容室の建物。
水色のタイルで統一されています。
軒下のテントは、理容室のサインポールと同じ配色。
弘前市街にある石場旅館は、明治12年小間物屋と旅籠を兼ねた店として開業されました。*1
地元の方の話によると、戦争中は、出征する兵士を送る家族と面会するための旅館として使われたそうです。
玄関を入ると、柱時計が出迎えてくれます。
木製の太鼓橋は圧巻です。
夜の様子。
田名部川沿いに油田型の銭湯の煙突が二基見えます。
銭湯の「葦の湯」。
銭湯の設備は重厚です。
脱衣場の丸籠と体重計。
田名部川の新大橋近くにある銭湯の寿湯。温泉浴場です。
銭湯の前の畳屋の建物に、寿湯の看板があります。
銭湯脇の材木置き場。
レトロな煙突。
七戸市街の南西部にある「さかた温泉」。
源泉かけ流しの温泉銭湯です。
館内は、広くてくつろげます。
青森県の銭湯でよく見かける券売機。年中無休。朝5時から夜10時までで、入浴料は良心的な値段(270円)です。
三戸の市街には、古い建物が多く残っています。塔のような形のデザインを持つ建物の隣には、洋風の理容室があります。
長屋風の建物。鮮魚店の隣に美容室。
カラフルなデザインの理容室。
モダンな美容室。
羽幌町南大通にある理容室の「太田理容院」。
地元の方の話によると、建て替えられていますが、建物のデザインは当時のままだそうです。
手のこんだ意匠。
鮮やかな青色が印象的です。
礼文町の船泊は、稚内の市街よりも、北に位置するので、日本最北の町と言うことができます。
最北の町にある銭湯の「船泊湯」は、日本最北の銭湯です。
営業は、午後4:00からです。
銭湯の裏側。
香深の市街にある渡辺旅館。
古い建物が目を引きます。
旅館の1階には、ランプ、そろばん、蓄音機など、当時使われていた道具や器具が展示されていて、まるで博物館のようです。
渡辺旅館の焼印。
蒲田駅南口の「ホテル末広」は、昭和27年開業で、当時は「温泉旅館」でした。開業時は「玉屋」という旅館でしたが、手相占いに見てもらったところ「末広」が良いというのですぐに名前を、「末広旅館」変えました。当時、隣には「白蘭」というキャバレー(後のキャバレー「モンテカルロ」)があって、バンドの生演奏が旅館にも聞こえ、華やかな雰囲気でした。*1
日帰り温泉(90分1100円)は、銭湯のように黒湯温泉を味わえます。
待合室には、小沢昭一さんが少年だった頃のふるさと蒲田の地図などが展示されています。
待合室では、冷たい麦茶がサービスです。
参考文献】
*1 交通新聞社:散歩の達人(2012.6)P.9 「ホテル末広が語るあの頃の活気と風情」
蒲田駅東口の繁華街の交差点の角にある建物。
建物の側面には大衆割烹「川和路」。かつては料理屋だったようです。
建物の右側半分は、アパートのような造り。
昔、お風呂場で見かけたようなタイルです。
滑川の櫟原神社の隣にある銭湯の塩湯。
脱衣場では、「写真で見る銭湯の歴史展」開催中です。
油田型の煙突。
脱衣場には、田村隆一の詩「銭湯すたれば、人情もすたる・・・」が掲げられていました。
JR滑川駅からすぐのところに、銭湯の清水鉱泉の看板が見えます。
通り沿いにあるビル型の銭湯。
現在は、休業中です。
2階には、店舗があったようです。
福光の知源寺の東隣にある銭湯の米田湯。現在は休業しているようです。
銭湯脇の路地。
モダンな意匠が目を引きます。
南側の路地。奥に煙突が見えます。
福光は、理容室、美容室が多い町です。写真の一画には、3軒が建ち並んでいます。
角の理容室。
モダンな雰囲気の玄関。
エレガントな半円形の窓。
福光の旧遊廓街の近くにある銭湯の「小林浴場」。「サウナ」の大きな文字がビルの壁面に書かれています。
1階の入口。
2階、サウナ。
銭湯脇の路地。
輪島の朝市通りにある銭湯の白山湯。交差点の角にある木造建築です。
入口の南側は、最近改装されて綺麗になっています。
昭和の銭湯らしい佇まいです。
シンプルな脱衣場。
八木山の割烹の並びにある銭湯の「八木山鉱泉」。
県の名水の指定を受けているそうです。*1
宿泊施設も併設されています。
道路側からの遠望。
【参考URL】
*1 富山県公衆浴場業生活衛生同業組合ホームページ 八木山鉱泉
バスターミナルの角を曲がって坂を下りると、商店街の裏側の谷にあたる場所に行きつきます。
近くには、「グランド劇場」というストリップ劇場やポルノ映画館(ブルーフィルム)がありました。*1
現在は、住宅街となっていて、当時の面影はありません。
当時の旅館の建物が数軒残っています。
「貸席」と呼ばれていたようです。
アパートのような入口。
【参考文献】
*1 週刊現代:おんな紀行 第5回三河西浦温泉四万九千円の巻
昭和の初め、「三扇楼」と言われる最高級料亭の「春扇楼末廣」「古扇楼」「福扇楼」がありましたが、二流料亭としては、「三広」と呼ばれた「広定」「広光」「広久」、「二大」と呼ばれた「大六」「大半」があり、あわせて「三広二大」と呼ばれていました。*1
1961年の「半田商工名鑑」*2 を見ると、料理旅館の項に、上記「三扇楼」と「二大」、亀崎の「望洲楼」などがあって、料亭の項に、「広光」「井筒」「永楽」「川竹」「千もす」「むつみ」の名があります。
料亭「井筒」。
ベンガラの塀。
西側にも入り口があります。
【参考文献】
*1 片山市三:半田の轍(一粒社出版部,2008)P.19-P.24
*2 半田商工会議所:半田商工名鑑1961(半田商工会議所,1961)P.105
大森駅前の古い商店の建物。「あらがや」という屋号とマークが描かれています。
鮮やかな青色のタイルで装飾されています。
クリーニング店だったようです。
「DRY CLEANING」の文字。
旧遊廓街の下諏訪町御田町の通り。
大衆浴場の「新湯」があります。
昔ながらの公衆浴場の雰囲気です。
入浴前には、排便をすませて、かけ湯をすませて入りましょう。
塩尻市街の大門一番町。広い通りに面して銭湯の看板があります。
普通の和風の民家の建物と間違えてしまいそうな佇まい。
側面から見ると銭湯らしい建物です。
裏側から見ると、工場の建物のようにも見えます。
長野市諏訪町にある「亀の湯」。入口には1対の狛犬が置かれています。
白壁の木造建築の銭湯です。
古風な洋館を思わせる建物です。
脱衣場の男女の境界には、欄間の意匠が見られます。
上田駅前の大通りを約2km北へ行った矢出澤川と交差するあたり。左折して川沿いの道へ入ります。
銭湯の「柳の湯」。
立派な屋号のプレートがはめ込まれています。
油田型の煙突。
鼻顔神社近くの稲荷橋へ向かう途中にある銭湯の建物。
現在は休業中のようです。
油田型の煙突。
正面入口の中央部分には、券売機が設置されています。町営の銭湯だったのでしょうか。
大村遊廓があったと思われる大村市武部町。現在は数軒の旅館が営業中です。
スナック「FUTABA」。古い住宅地図には、同名の二葉という旅館がありました。
通りに面した旅館「みきや」。
旅館「山陽」。
花巻に唯一残っている銭湯の高砂湯。コンクリート造りの建物です。
奥行はかなり大きくで、規模の大きさを感じさせます。
建物脇から見える煙突。
現在は臨時休業中です。
盛岡の激渋銭湯の「菊の湯」。駅からは少し離れている(茶畑2丁目)ので、バスで行くのが無難です。
珍しい、朝風呂営業中の銭湯です。
裏へ回ると、立派な煙突が見えます。
脱衣場には、主人の趣味でしょうか。動物の人形がたくさん並んでいます。
食堂の「伊勢屋」の隣にある銭湯の「姫の湯」。
深谷の激渋銭湯です。
脱衣所のロッカーは、大き目で使いやすいです。中庭もあります。
入口の石畳。風情があります。
国分町にある銭湯の駒の湯。
1階にコインランドリーが併設されたビル型の銭湯です。
1階の入口から階段で浴場のある2階へ向かいます。
2階には券売機とレトロな公衆電話。
会津若松には2軒の銭湯があります。
上町7丁目にある銭湯の竹之湯は、大きな四角い煙突が特徴です。
暖簾のかかった銭湯の入口。
超音波浴場。
脱衣場には、大きな丸籠が並べられています。
会津若松市街には、大正~昭和の貴重な近代建築が数多く残されています。
滝谷建設工業の洋館(円柱が配置されている建物)は、昭和2年の建築。その左隣の白木屋漆器店は大正3年の建築です。
右隣には、理容室の建物。
「美髪」と書かれています。
入口のドアには、屋号の「ヤマグチ」。
武蔵小山駅の西側。目黒本町5丁目にある銭湯の富士の湯。
落ち着いた感じの入口。
裏へ回ると立派な煙突を間近で見ることができます。
脱衣場から見る庭園。
本町二丁目交差点から南へ延びる道路沿いに、銭湯の建物が残っています。
現在は休業中のようです。
菊水湯。
定休日の貼り紙が残されていました。
小川町駅前の通りを南下すると、旅館「福助」の大きな木造建物が見えてきます。
国道に面した側が、福助本館の玄関です。
歴史を感じさせる「福助楼」の看板。「女郎うなぎ」が名物です。
奥行のある建物。福助本館と福助旅館がつながっています。
西門商店街の東側にある相模浴場。
昔ながらの銭湯です。
裏側から見ると、大きな建物と煙突が目を引きます。
長いハシゴが取り付けられた煙突。
旧新地の町並み。
多数の窓を持つ理容室だったと思われる建物。
レトロな軒下の明かり。
古い理容室の看板。営業時間、定休日などが書かれています。
建物と建物の間の狭い路地の入口。
路地が奥まで続いています。
2階部分が総ガラス張りの建物。*1
重厚な格子の窓。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.88-P.89
善通寺の門前。本郷通りの一つ南側の通り。
銭湯の「温泉湯」のネオン看板があります。
モダンなデザインの銭湯です。
現在は、休業中のようです。
今回は、善通寺(香川県善通寺市)の町並みと風俗を散歩します。善通寺の五重塔の前の通りに、「ゆ」の看板が見えます。
銭湯の「大正湯」
モダンなデザインの入口。
大正ロマンを感じさせる建築です。
花街にある銭湯の養老湯。*1
現在は、休業中です。
古びた煙突。
銭湯脇には路地。写真左側が銭湯の建物の側面です。
【参考文献】
*1 東京交通社:大日本職業別明細図(東京交通社,1937)第164号「兵庫県及び徳島県」
伊東市渚町の商店街にレトロな美容院があります。
一階部分は、グレーのタイルで装飾されています。
2階部分の窓は、円型のデザイン。
玄関脇には、置物がディスプレイされています。
今回は、五戸(青森県三戸郡五戸町)の町並みと風俗を散歩します。
五戸町の中心部。地酒の「菊駒」の大看板が目を引きます。その後方に銭湯の煙突が見えます。
銭湯の「鶴の湯」。
現在は、休業中のようです。
建物の後ろ側。
かつて水晶橋があったと思われる場所に、銭湯の「藤の湯」があります。
営業時間は、午後3時から8時半までです。
油田型の煙突。
銭湯の左側は、材木置き場になっています。
武蔵小杉の今井湯。コインランドリーが併設です。
コインランドリーと銭湯の入口がつながっています。
側面にも入口があって、入口の脇にはクリーニング店が併設です。
水色で「今井湯」と書かれた煙突。
鮫が橋の北の若葉にある戒行寺坂。
坂の登り口に銭湯の若葉湯があります。
コインラインドリー併設です、
銭湯裏の煙突。今は、隣が空地になっているので、煙突全体を見ることができます。
JR四ツ谷駅から徒歩10分の場所にある新宿歴史博物館。
館内に入り、まず目を引くのが、「内藤新宿」の模型です。
新宿の赤線街を再現した展示。
文化住宅を再現した展示。大正の末から昭和の初めにかけて流行したサラリーマン住宅で、小規模な和風住宅の玄関脇に、洋風の応接間がついていました(案内板より)。
城山町の交差点にある銭湯の幸の湯。奥行のある立派な建物です。
ひっそりと居を構えています。
電柱のプレートに、銭湯の名があるのは珍しいです。
夜の様子。
遊廓があった畠中町4丁目。寿司屋の隣に、銭湯の増毛湯があります。
増毛湯は、昭和5年の市街図にも記載されています。
北海道らしい五角形のギャンブレル屋根の建物です。
現在は休業中のようです。
【参考文献】
*1 安田俊平:増毛市街案内図(北陽社,1930)
今回は、増毛(北海道増毛郡増毛町)の町並みと風俗を散歩します。増毛は、JR留萌線の終着駅の町です。
増毛の駅前には、古くからの町並みが残っています。
駅前で目を引くのは、駅舎と向かい合うようにして建っている昭和8年建築の「旅館 富田屋」です。2階と3階の全面には、ガラス張りの縁側があります。*1
富田屋の隣に建つ「風待食堂」は、雑貨屋だった「多田商店」の建物で、現在は、観光案内所として利用されています。「風待食堂」は、昭和56年に公開された映画「駅 STATION」で駅前食堂として登場したときの名残です。*1
「風待食堂」のはす向かいに並ぶ「海榮館」「増毛館」も昭和初期の面影をとどめている建物です。*1
【参考文献】
*1 渡辺一史:北の無人駅から(北海道新聞社,2011)P.469-P.470,P.486-P.489
銭湯のえびす湯。
浜町の中心部にあります。
昭和40年頃は、住民だけでなく船で浦河港に入る漁師たちも来て、多い日には300人もの客を迎えて芋の子をあらうような混雑ぶりでした。*1
入口には、えびす様のタイル絵。
【参考文献】
*1 小野寺信子,河村和美,髙田則雄,続浦河百話編集委員会:続浦河百話(同文化社,2013)P.401
大通りに面した場所にあるホテル「叶屋」。大正14年の大日本職業別明細圖にも記載されている老舗旅館です。
この日は、工芸展が開催されていました。
裏口から見た旅館の外観。風格があります。
叶屋の手書き看板。
門前通りの東側。
モダンなデザインの建物があります。
入口のドアに「サ」「ウ」「ナ」の3文字。
2階部分の窓。洒落たデザインです。
北海道北見市美芳町7丁目にある銭湯の美好湯。サウナの看板が印象的です。
北国らしいビル銭湯です。
入口には、牛乳石鹸の暖簾。
銭湯の煙突。
江別市の歓楽街(5条5・6丁目)のはまなす温泉。
現在は、休業中のようです。
サウナ&ラドン。効能が多い温泉です。
油田型の煙突。
かつて遊廓があった六軒町にある理容室。
正面から見ると右側と左側に色分けされているように見えます。
上の写真の拡大写真。正面に屋号か記されて、右側半分が「理容院」。左側半分が「美容院」となっています。
左側の美容室部分の窓。タイルで装飾されています。
深川市4条6の交差点。
昭和の雰囲気を残す理容室の建物です。
建物の側面のドア。
北空知料飲店組合のプレート。美容室の建物に飲食店が併設されていたようです。
旧花街の三間通り沿いにある旅館「日南子」。素泊まり2500円とリーズナブルです。
どっしりとした木造三階建て。
古地図「昭和10年当時の三間通り」*1 によると、この付近には芸者置屋や料亭と思われる「㐂乃家」という屋号の店がありました。
裏側から。
【参考文献】
*1 日南市産業活性化協議会:油津(鉱脈社,1993)P.246-P.247
延岡市桜小路の住宅街の商店。
商店に銭湯が併設されています。
現在は、休業中のようです。
「亀井湯」の看板。
延岡市本町1丁目の銭湯の「喜楽湯」。
水色の板壁が美しい木造銭湯です。
本日は、残念ながら定休日でした。
窓枠も水色に統一されています。
今回は、延岡(宮崎県延岡市)の町並みと風俗を散歩します。
延岡の花柳界は、紺屋町、博労町が明治、大正時代の中心でした。*1
戦前の住宅地図*2 によると、この通りにも料亭や置屋が建ち並んでいました。
旅館だったと思われる建物。昭和34年の住宅地図*3 によると、旅館「福龍」と記載されています。
玄関部分にタイルで装飾された円柱があります。
花街時代を彷彿させる鮮やかさです。
【参考文献】
*1 延岡市史編さん委員会:延岡市史(延岡市,1963)P.476-P.480
*2 あがた会:空襲前延岡小学校々区住居地図 あがた会30周年記念制作(あがた会,1996)
*3 住宅地図刊行会:延岡市住宅詳細地図(住宅地図刊行会,1959)P.6
三島駅近くの道路沿いに、古い木造の建物が残っている一画があります。
理容室の建物です。
理容室の看板が、郷愁を誘います。
理容室脇の路地。
門前仲町駅の南側。巴橋から、銭湯の建物が見えます。
重厚な建物。
銭湯の入口。
裏側にも通りがあります。こちらからだと、立派な煙突が見えます。
徳島市栄町5~6丁目は、かつて旅館が散在していたエリアです。
栄町6丁目(5丁目の南側)にも、旅館風の建物があります。
交差点に近いあたり。
栄町5丁目北側の民家。
高松市城東町の吉野湯。
歩道にせり出した吉野湯の看板がいい雰囲気です。
大きめでカラフルな暖簾。「男」「女」と大きく書かれています。
コインランドリーが併設されています。
瓦町駅近くのフェリー通りから、西へ入ったところに、昔ながらの旅館「おしどり」があります。
1階の左右に出入口があります。
西側から。
夜の様子。
東急東横線の綱島駅と大倉山駅の中間あたり。大曽根商店街沿いに銭湯の大平館があります。
一見、普通の商業ビルですが、路地の奥に銭湯の入口があります。
風情のある玄関付近。
煙突には、「ラジウム温泉」と書かれています。
今回は、綱島(神奈川県横浜市港北区)の町並みと風俗を散歩します。
綱島温泉は、かつては大きな温泉街でしたが、現在は、数軒あるビジネスホテルにわずかにその名残をみることができます。
レトロな雰囲気の残る看板。当時は割烹旅館だったようです。
街道から奥へ入ったところにあるビジネスホテルの看板。
かなり大きな店構えです。
神田鍛冶町三丁目にある古い商業ビル。
パーマ屋の看板。現在は休業中です。
1階が、パーマ屋や理容室などの商業スペースで、2階と3階は居住スペースです。
理容室は、現在も営業中です。
新飯塚駅西側のバスセンター前の大通りを西へ進むと、細い路地が斜めに交差する場所に行き当たります。
路地を下ったところに、銭湯のだるま湯があります。
大きな暖簾。
脱衣場のロッカーは木製です。扉には、漢字で番号が書かれています。