亀戸(天神裏の張り紙)犬糞禁止。ビルの間の生活用の通路。

亀戸天神裏。ビルの間の生活用の通路。

人目につきずらい幅の狭い通路です。

犬の糞禁止の張り紙。

反対側にも同じ張り紙が貼られています。

参考文献

参考記事

亀戸(旧遊廓跡地の蕎麦屋)3階建て。4階建てにも見えます。

亀戸の旧赤線区域。特殊喫茶店「大福」があった場所に建つ蕎麦屋の建物。

3階建てだと思いますが、4階建てにも見えます。

1階は、蕎麦屋さん。

ざる蕎麦を注文しました。

参考文献

参考記事

亀戸(赤線跡)可憐な概観を持つ建物。奥行のあるアパートの建物。

亀戸の旧銘酒屋街。
「赤線跡を歩く」*1 で紹介されている「可憐な概観を持つ建物」が現在も残っています。

当時は、建物の左上部分に「双葉」と書かれていました。*2

タイルの装飾をコンクリートでくりぬいたような窓のデザインは同時のままです。*2

奥行のあるアパートの建物。

参考文献

*1
木村聡赤線跡を歩く消えゆく夢の街を訪ねて自由国民社1998
亀戸
P.27 ・可憐な概観を持つ建物。コンクリートをくり抜いたような窓。 ・何気なくのぞいた倉庫の中にタイ…
*2
小沢昭一珍奇絶倫小沢大写真館筑摩書房2006
つわものどもが夢の跡 東京・旧赤線跡めぐり
P.224 亀戸 赤線跡「双葉」の写真。 売春防止法で、一番最初に完全転業した街。外は昔を偲べても内は工…

参考記事

亀戸(料亭「寿々代」「七福」)三業地跡。亀戸天神の裏の通り。

かつて、亀戸天神裏の通りには、三業地が広がっていました。*1

料亭「寿々代」。
以前は、この建物の東隣の交差点の角にありました。*1*2

旧三業組合の建物※1 の隣にある料亭「七福」。

写真左手には、数年前まで、富久家の建物*1*2※2がありましたが、現在は更地になっています。

参考文献

*1
木村聡赤線跡を歩く消えゆく夢の街を訪ねて自由国民社1998
亀戸
P.27 ・可憐な概観を持つ建物。コンクリートをくり抜いたような窓。 ・何気なくのぞいた倉庫の中にタイ…
*2
都市整図社火災保険特殊地図(戦後分)江東区[25] 亀戸天神方面 [1953-1959年]都市整図社2002
亀戸三業組合 料亭「富久家」「七福」「寿々代」 天狗湯 の記載

参考記事

※1亀戸(城東三業組合事務所跡)江戸時代から発展。※2亀戸(料亭「富久家」)亀戸花街。天神裏の通り。

亀戸(城東三業組合事務所跡)江戸時代から発展。

今回は、亀戸の町並みを散歩します。
亀戸天神社裏のこの通りは、かつては、料亭が建ち並ぶ亀戸花街の中心部でした。*1

城東三業組合事務所(見番)があった建物。*2

現在は、亀戸三丁目自治会館として使われています。

この通りの北側が旧亀戸の赤線地帯です。

参考文献

*1
南桜社東都芸妓名鑑南桜社1930 リンク
亀戸花街の沿革 リンク
この地が花街として発展したのは、寛政年間からであって、各所に散在していたのがいつの頃よりか、今日の…
*2
上村敏彦花街・色街・艶な街 色街編街と暮らし社2008
亀戸天神裏の花街と赤線跡

P.100
城東三業組合事務所(見番)があった建物。現在は、亀戸三丁目自治会…

参考記事

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亀戸(料亭「寿々代」「七福」)三業地跡。亀戸天神の裏の通り。

神田明神下(開化楼跡)高楼がそびえたっていました。

かつて男坂の途中には、料亭「開化楼」の高楼がそびえたっていました。*1

現在、男坂の途中には、オフィスビル「KAIKA」が建っています。

料亭「開化(新開化)」があったたり。

料亭「開化」の前には、神田芸組合の事務所が建っていました。*1
写真奥は、神田川本店がる方角です。※1

参考文献

*1
林順信東京路上細見1湯島・本郷・根津・千駄木・神田平凡社1987
花街をひかえた神田明神下の賑わい
P.275 外神田二―六―三の表札を見ると、大きな看板の下がった家がある。看板には、「神田芸妓・芸妓置屋組…

参考記事

※1神田明神下(神田川本店)かつての花街のころの雰囲気が残っています。

神田明神下(神田川本店)かつての花街のころの雰囲気が残っています。

神田明神下の南側の一画にある神田川本店。美しい黒板塀のある老舗料亭です。

創業は文化2年。代々受け継がれている辛口のタレは、江戸幕府の賄い方だった初代が万世橋の際で開いたときからのものだそうです。*1

神田川本店の裏手の路地。このあたりは、かつての花街のころの雰囲気が残っています。

現在は、神田川本店の倉庫となっている一画。

参考文献

*1
交通新聞社散歩の達人 No.179交通新聞社2011
老舗の味わい方
P.23-P.24 創業文化2年 明神下神田川本店(うなぎ) 空間もさることながら、神田さんが一番大事なもの…

参考記事

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神田明神下(開化楼跡)高楼がそびえたっていました。

神田明神下(花街跡)安政期に芸者が出現。講武所芸者。

かつて、神田明神下同明町に花柳界があって、この三業地を俗に講武所、ここの芸者を講武所芸者と言いました(講武所とは、幕末に創設された幕府の武術教育所のこと)。*1
花街のことを「講武所」と呼んだのは、
・講武所の運営費捻出のため、現在の秋葉原駅の万世橋通り付近の土地を町屋に編入して地代を取るようになり、安政期(1854-59年)にこの地に芸者が姿を現したため、講武所芸者と称されるようになった。*2
・旗本、御家人などの二男・三男が武芸鍛錬のため講武所へ行くと言って家を出てここで遊んでいたとか、客に講武所の生徒が多かったため、*1
など諸説あります。
また、明治3年)頃に、芝居茶屋が出現し、同時に草分け芸者が生まれ、花街となった。*3 とする説もあります。
男坂の通りの北側の通りにある料理屋。右側の建物もかつての料理屋です。

料理屋「あら喜」

元料理屋の建物。

「章太郎」は、明神したの艶っぽさを残す名店です。*2

参考文献

*1
北村一夫江戸東京地名辞典講談社2008
講武所
神田明神下同明町に花柳界があった。この三業地を俗に講武所、ここの芸者を講武所芸者といった。 明神下…
*2
日本文芸社荷風!vol.23日本文芸社2010.1
荷風の神田を往く
P.39 コラム講武所芸者 講武所とは、江戸幕府が武術修練のために設けた講習所で、もともと築地にあった…
*3
南桜社東都芸妓名鑑南桜社1930 リンク
神田花街の沿革 リンク
花街の創設 芝居茶屋が出現するど同時に草分け芸者として生まれ、翌年(明治3年)頃に二十三、四人の芸…

参考記事

神田明神下(ビリヤード場「淡路亭」)創業50年の老舗。

JR御茶ノ水駅の北側の外堀通り。神田川沿いに建ち並ぶ4階建ての建物※1 の裏側にあたります。

「玉台家具製作所」の木製の文字看板。昔は、ビリヤード台のことを「玉台」呼んでいたようです。

創業50年の老舗ビリヤード場です。*1

カラフルな看板。

参考文献

*1
FREE AWAJI BOOK 8890FREE AWAJI BOOK 8890ノスタルジーに酔いながら、玉突き勝負といきましょう。ワテラス2015.12 リンク
 JR中央線の線路沿いにある古いコンクリート ビルの2階に、創業50年のビリヤード場「淡路亭」 はある。こ…

参考記事

※1神田明神下(御茶ノ水駅)川沿いの4階建て。

神田明神下(御茶ノ水駅)川沿いの4階建て。

今回は、神田明神下(東京都千代田区)の町並みを散歩します。
JR御茶ノ水駅の東側。神田川に架かる聖橋からみたJR総武線、JR中央線、地下鉄丸の内線が立体交差します。ずっと眺めていても飽きない景観です。

昌平橋から聖橋方面の遠望。

川沿いに4階建ての建物が建ちならんでいます(JR御茶ノ水駅より)。

ビリヤードの建物。

参考文献

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