釧路(遊楽街センター)隣り合う2棟。栄町2丁目。

釧路市の歓楽街、栄町2丁目の遊楽街センター。昭和の雰囲気が残っています。

遊楽街センターA(左側)、遊楽街センターB(右側)、の2棟が隣り合って配置されています。この2棟の天井部分が一体となっていて、一つの横丁建築になっています。

店舗は、現在も営業中です。

逆方向から。

参考文献

参考記事

生田原(北の王金山跡)現在も残る遺跡。現在の生田原神社の南側。

大正10年代から昭和初期にかけての生田原は、第一次世界大戦後の経済不況と農業の断続冷害凶作で、商業界は低迷の苦境を余儀なくされましたが、鉱山の操業という起死回生の天恵に救われ、再び活況を取り戻しました。*1
現在の生田原神社の南側に北の王金山跡の入口があります。

林道をしばらく歩くと、眼下に眺望が開けた場所へ出ます。

そこからすぐのところに残るコンクリート造りの建造物。

四角い窓が見えます。

参考文献

*1
生田原町*生田原町史生田原町1981
商業界の盛衰
P.524 鉄道開通と林業の勃興 大正3年、鉄道が開通すると、物資の需給は増大の一途をたどり、翌4年には…

参考記事

※1生田原(市街地図)生田原駅。昭和29年発行の「生田原市街地図」。

生田原(スナック店)玄関の隣の丸窓が印象的です。

カフェーの「日輪」*1※1※2があった通りの交差点の角。スナックが2軒建っています。

交差点の角にあるスナックは、昭和55年の市街図*2では「ムーラン」という屋号でした。

玄関の隣の丸窓が印象的です。

旧「銀月」。*2

参考文献

*1
生田原町*生田原町史生田原町1981
生田原町生田原町史資料:町制記念・生田原町市街図 昭和29年発行生田原町
「カフェー日輪」の記載。 (現在の遠軽町生田原418)
*2
生田原町*生田原町史生田原町1981
生田原町生田原町史資料:生田原町戸別明細図 昭和55年発行生田原町1980
交差点の角に、「ムーラン」、踏み切りの近くに「銀月」。

参考記事

※1生田原(カフェー跡)お食事の店。現在は休業中。※2生田原(市街地図)生田原駅。昭和29年発行の「生田原市街地図」。

生田原(カフェー跡)お食事の店。現在は休業中。

大正3年、生田原に鉄道が開通すると、翌4年には200戸におよぶ集散地市街が形成され、加えて第一次世界大戦の勃発は、空前の好景気をもたらし、上生田原市街では北区を「料理屋街」と称し、料理店や飲食店が軒をつらね、芸妓や酌婦48名をかぞえたそうです。*1

昭和29年発行の「生田原市街地図」*2※1 に記載のあった「カフェー日輪」は、地元の方の話によると、写真の「お食事の店」に改築され、現在は休業中とのことです。

お食事の店。

上生田原市街は大正9年の大火災や大戦景気の反動不況により、一時商店街しましたが、昭和初期にかけて、鉱山が操業し、再び活況を取り戻しました。鉱山が商店をうるおわせたことと符合するものに、サービス業、特に料理飲食店の繁昌がありました。

参考文献

*1
生田原町*生田原町史生田原町1981
商業界の盛衰
P.524 鉄道開通と林業の勃興 大正3年、鉄道が開通すると、物資の需給は増大の一途をたどり、翌4年には…
*2
生田原町*生田原町史生田原町1981
生田原町生田原町史資料:町制記念・生田原町市街図 昭和29年発行生田原町
「カフェー日輪」の記載。 (現在の遠軽町生田原418)

参考記事

※1生田原(市街地図)生田原駅。昭和29年発行の「生田原市街地図」。

この記事を参照している記事

生田原(スナック店)玄関の隣の丸窓が印象的です。

生田原(市街地図)生田原駅。昭和29年発行の「生田原市街地図」。

今回は、生田原(北海道紋別郡遠軽町)の町並みを散歩します。生田原駅構内には、オホーツク文学館と図書館が併設されています。

図書館の入口に、昭和29年発行の「生田原市街地図」*1 が掲示してあります。

当時は、カフェーがあったようです。

北の王鉱山の全景。

網走(中川記念武道館)網走市名誉市民、中川イセ。

網走市街の南側の郊外(網走市南11条西2丁目)。ここに、網走市名誉市民の中川イセ※1 に関連すると思われる「中川記念武道館」があります。

中川イセは、1901年(明治34年)山形県天童市生まれで、網走の遊廓「金松楼」にいましたが、戦後、網走市議に当選し、その後連続7回当選。網走監獄保存財団理事長を務めました。*1

日本大東流合気武道本部の建物として利用されています。

中川イセは、柔道三段。荒くれ人夫を一本背負いで投げ飛ばしたことがあるほど腕前でした。*1

参考文献

*1
山谷一郎岬を駈ける女はたもと出版1992
中川イセ略歴
P.270 中川イセ略歴 ・1901年(明治34年)8月26日山形県干布村荻野戸(ほしぬのむらおぎのと)に生まれ…

参考記事

※1網走(中川稲荷)網走の女傑、中川イセに因んだ稲荷。

網走(ときわ湯)市街の中心部。綺麗な銭湯。

網走市街の中心部にある銭湯のときわ湯。

最近改装されたのでしょうか。綺麗な銭湯です。

年季の入った煙突。

夜の銭湯。

参考文献

参考記事

網走(飲食街「楽天地」の壁面)隣の建物が撤去され更地に。

網走市街にある飲食街の楽天地ビル。隣の建物が撤去され更地になったため、壁面がむき出しの状態となっています。

老朽化が目立ちます。

天井部分。

奥まった場所にある公衆トイレ。

網走(北盛亭跡地)花街の象徴だった豪華な2階建て。

明治時代に繁栄した網走遊廓は、昭和に入ると繁栄は影を秘め、それに替わってそば屋と料亭が繁昌し、料亭では北盛亭が網走では一番大きく、当時野付牛(北見市)の梅の家と並んで、道東でも屈指と言われていました。*1
北盛亭は、南3東4交差点付近にありました。*2

北盛亭があった場所には、現在、石碑が建てれています。

石碑には、「2階建ての豪華な造りで、花街の象徴だった。」と書かれています。

近くには、網走川が流れています。

参考文献

*1
山谷一郎網走私史 第3集山谷一郎1995
あばしり紅灯街変遷史明治大正編
P.33 昭和編 昭和2年の頃は、町にまだカフェーと呼ぶものが一つもなかった。遊廓も四軒ほど残っていたが…
*2
北陽社網走市街明細図北陽社1929
現在の網走市南三条西に、 ・網走遊廓の金松楼、越中楼、北越楼、巴楼など ・割烹の北盛亭 の記載。

参考記事

網走(「浜長」網走駅前店)老舗大衆食堂。

今回は、網走(北海道網走市)の町並みを散歩します。
JR石北本線の網走駅前にある、老舗大衆食堂「長浜」。市街の中心部には本店があります。

麺類や丼物など、和食のメニューが中心です。

和風の店内は、ゆったりとしていてくつろげます。

かつ丼とビールを注文。

参考文献

参考記事