円頓寺(菓子問屋街)「嫁入り菓子」をここで買えます。

円頓寺商店街の北側。西区新道は菓子王国名古屋を象徴する問屋街です。幕末には、駄菓子製造地として知られ、日露戦争後、小資本の家内工業として本格的に発展し、最盛期には、お店が500軒余ありました。*1

子供が小遣いで買える10円~の菓子が主流です。*2

駄菓子は、単価が安いので、冠婚葬祭はもとより、子供会や地区のイベントなど幅広いニーズで利されます。名古屋では「嫁入り菓子」を結婚式で配るそうですが、それをここで買えます。*2

石原さとみさんの「果汁グミ」のCMポスターが貼られた菓子問屋。

【参考文献】
*1 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会:名古屋なつかしの商店街(風媒社,2014)P.144
*2 谷充子:休みをとってでも行きたい問屋街さんぽ(G.B.,2016)P.126-127

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円頓寺(犬糞看板)段ボールを利用。五条橋近くの交差点。

円頓寺商店街の東側。五条橋近くの交差点。

地面すれすれの位置に犬糞看板が設置されています。

交差点の角は、側溝が凹んでいて、水はけが良さそうに見える場所です。

段ボールを利用して作られた看板です。

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円頓寺(円頓寺銀座街)昭和の雰囲気が残る路地裏

円頓寺商店街の中央付近。スペイン食堂「BAR DUFI」脇を南へ入ったところに、「円頓寺銀座街」があります。

昭和の雰囲気が残る路地裏です。

現在は、営業していない店舗もあります。

バーのような店の入口。

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円頓寺(勝利亭)洋食文化の草分け。トマトソースの開発。

円頓寺商店街にある洋食店の「勝利亭」。創業百年と名古屋の洋食文化の草分けとして親しまれた老舗です。店名は、日露戦争の勝利を祝って付けられました。初代の主人は、カゴメ(名古屋市中区)の創業者が日本で初めて発売したトマトソースの開発にも携わったと伝わっています。*1

歴史を感じるレトロな店内。

テーブルには、トマトケチャップのボトルが置かれています。

チキンオムライス(大盛り)とビール(大瓶)を注文。オムライスの中身はケチャップライスですが、さらにトマトケチャップをかけてみました。

【参考文献】
*1 中日新聞(2009.1.28夕刊)「円頓寺の老舗2代目・野口さん 93歳 伝統の味 守り死去」

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円頓寺(開慶座跡地)ストリップ劇場跡。

今回は、円頓寺(えんどうじ、愛知県名古屋市西区)の町並みと風俗を散歩します。
江戸時代末期から、長久山円頓寺を中心に発展した円頓寺商店街は、庶民的な佇まいが最大の魅力です。*1

名古屋では数少ない寄席として人気だった「開慶座」の跡地。昭和28年に秋に赤字打開策としてスリップ劇場に転身しました。*1

「開慶座」の跡地の西側に、慶栄寺が見えます。

「開慶座」の跡地から見る円頓寺商店街。写真奥の「喫茶まつば」は、昭和25年の「円頓寺新地図」*2 にも記載されている老舗の喫茶店です。

*1 名古屋タイムズ・アーカイブス委員会:名古屋なつかしの商店街(風媒社,2014)P.14-P.17
*2 名古屋タイムズ(1953.1.28)P.6「円頓寺新地図」

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堀田(海上寺)オッパイ神社。別名:乳花(ちばな)薬師。

名古屋市の瑞穂区直来町にある海上寺。

海上寺は、乳花(ちばな)薬師とも呼ばれ、お堂の前にかかっている絵馬は、平面的なオッパイが描かれています。*1

立体的なオッパイもあります。

おっぱいがたくさん出ますように。

【参考文献】
*1 永谷正樹:大名古屋大観光(イースト・プレス,2005)P.122

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堀田(エビス大黒市場)昔ながらの手作りコロッケ。

名鉄堀田駅の北側にあるエビス大黒市場。

肉屋さんの「昔ながらの手作りコロッケ」。コロッケとハムカツは40円。串カツとメンチは50円です。

肉屋さんですが、パン粉をつけた状態のコロッケも販売しています。注文してから揚げてくれます。

コロッケ、ハムカツ、メンチを1個ずつ注文。揚げたて3個が130円です。

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堀田(かつての歓楽街の遺構)東ノ宮神社の隣。

東ノ宮神社の隣に、かつての歓楽街の遺構が残っています。
昭和34年の住宅地図*1 によると、通り東側(写真奥)に、「吉の家」「ふじ家」「平和飲食」、西側(写真手前右)に、「旅館たつみ」がありました。この一画が、「松田橋」と呼ばれた色街*2(=青線区域の「平和園」*3) だったと思われます。

逆方向から。写真奥は東ノ宮神社。写真左奥が「旅館たつみ」、左手前に「ふじ家」、右手前に、「吉の家」「平和飲食」がありました。*1
「平和飲食」は”平和園”からとった屋号でしょうか。

丸窓が残る建物。

通りは、Tの字になっています。写真右は「旅館たつみ」。

【参考文献】
*1 住宅協会:名古屋市全住宅案内図帳 昭和34年版 瑞穂区(住宅協会,1959)
【参考記事】
*2 風俗散歩(堀田):松田橋(2016.3)
*3 風俗散歩(堀田):東ノ宮神社(2016.3)

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堀田(東ノ宮神社)松田橋 の交差点の南東側。神社の横に特飲街。

松田橋*1 の交差点の南東側。パチンコ店の裏側に東ノ宮神社にあります。

東ノ宮神社がある場所は、八丁畷の跡地です。*2

境内には、明治天皇が、八丁畷で稲刈りを御覧になられたことを記念した「明治天皇覧穫之所」「明治天皇八町畷御野立所」の碑が建てられています。*2

昭和21年の名古屋タイムズに「田圃の中の歓楽郷」と題し、かつての青線「平和園」の様子が描かれています。*3 「踏切から三丁南、明治天皇が田植えをごらんになった記念の八丁畷の田がある。その横に特飲街みたいな門にかこまれた一角がポツンと田の中にたっている。平和園という、青線区域だったが、二月に手入れをされた。十軒ばかりのうち、一、二軒はまた青線業を再開しているとかいないとかいう...」

【参考記事】
*1 風俗散歩(堀田):松田橋(2016.3)
【参考URL】
*2 明治神宮崇敬会:公式ホームページ「明治天皇聖蹟
【参考文献】
*3 阿地弥八:名古屋タイムズ(1946.5.1)P.6「堀田新地図」

参考文献

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堀田(松田橋)八丁畷にできた色街。

今回は、堀田(愛知県名古屋市瑞穂区)の町並みと風俗を散歩します。
地下鉄名城線の堀田駅の150mほど南の松田橋の交差点の北西側の角に、八丁畷公園があります。

「八丁畷(はっちょうなわて)の由来と松田橋遺構」の案内板。

終戦後、「松田橋」という色街(私娼)ができました。*1
「八丁畷を語る集い」*2 の中で、古老が次のような思い出を語っています。「戦後になりますと、あそこに松田橋と言う名前を付けて遊廓ができて、名古屋の三つの可笑しな遊廓・・・・新栄町と熱田の羽城と松田橋が遊廓で名前が通った処なんです。その当時、遊廓を通ると蒲団がずらっと干してありました。ところが一歩向う側へ行ったら田圃ですわ。」

現在の松田橋交差点。頭上を名古屋高速が通ります。

【参考文献】
*1 瑞穂区制施行50周年記念事業実行委員会:瑞穂区誌(瑞穂区制施行50周年記念事業実行委員会, 1994)P.435
*2 瑞穂区郷土史跡研究会:美豆保第4号(1988)P.6「八丁畷を語る集い」

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