余市橋を渡ると、「宇宙の湯、余市川温泉」と書かれたビルが見えます。

銭湯の余市川温泉。キャッチフレーズは、「宇宙飛行士毛利衛氏が生まれた温泉」です。

建物の屋上には、今にも飛び立ちそうなスペースシャトルのモニュメントが取り付けられています。胴体部分の側面には、アルファベットの「YoichigawaOnsen」と温泉マーク、水平尾翼には日の丸が描かれています。

2階は食堂になっています。ビールとチキンかつ定食(600円)を注文しました。テレビを見ながらのんびりと過ごせます。

余市橋を渡ると、「宇宙の湯、余市川温泉」と書かれたビルが見えます。

銭湯の余市川温泉。キャッチフレーズは、「宇宙飛行士毛利衛氏が生まれた温泉」です。

建物の屋上には、今にも飛び立ちそうなスペースシャトルのモニュメントが取り付けられています。胴体部分の側面には、アルファベットの「YoichigawaOnsen」と温泉マーク、水平尾翼には日の丸が描かれています。

2階は食堂になっています。ビールとチキンかつ定食(600円)を注文しました。テレビを見ながらのんびりと過ごせます。

明治時代、鰊(ニシン)で栄えた余市町の殷賑は、沢町(円山公園の麓)にありましたが、明治39年に函樽鉄道の余市駅が開業すると、駅と沢町との交通は、大川町を経由してのものだったため、繁栄は、大川町に移ってきました。*1
このあたり(名店街家具センターのある通り)には、映画館の「余市座」がありました。*2

大川町に気風で知られた女将中井千代が経営する料亭「千代の家」があり(写真右手前のあたり)、そこを中心に貸席、割烹料亭などが増え、盛り場「桜小路」が評判となりました。*1

この付近(現在の大関書店の裏)には、見番がありました。*2

昭和8年の余市大火のとき、「桜小路」の飲食街と余市座は全焼し、ニシン不漁の時期とも重なり、復興することができませんでした。*1

【参考文献】
*1 余市文芸編集委員会:余市文芸(34号,2009.03)P.28-P.29
*2 余市町郷土研究会:草莽(3号,1998.10)「大正15年当時大川町市街地復元地図」
黒川の歓楽街。色彩豊かなスナックの店舗が建ち並びます。

印象的な看板建築の建物。

長屋風の飲食店舗。

夜になると、看板に明かり灯ります。

黒川の歓楽街の入口に、古い木造建築の居酒屋があります。建物脇の路地を入るとその奥にも木造母屋建ち並んでいます。

「みづほ」という屋号。

裏側は、トタンの芸術です。

奥の木造母屋のガラス窓。「余市ビリヤード」と読めます。

今回は、余市(北海道余市郡)~積丹(北海道積丹郡)の町並みと風俗を散歩します。
余市の黒川町には、スナックや居酒屋が建ち並ぶ歓楽街があります。

歓楽街中心部に、かつての「キャバレーハクチョウ」の建物があります。*1*2

現在は、「よいち銀座はくちょう」という名のデイサービス施設になっています。*1

裏側から見ると、歴史のある建物であることがわかります。

【参考URL】
*1 社会福祉法人よいち福祉会:ホームページ【参考文献】
*2 日本住宅地図出版:余市郡余市町(日本住宅地図出版,1982)P.17
岩内の道の駅近くの歓楽街。

古びた映画館があります。

映画館「ニューシネマ」の入り口。

しぶがき隊の若い頃のポスター。みんな若いです。

映画「ヘッドフォンララバイ」シブがき・17・隊夢トンネルは、シブがき隊の2作目の主演映画。可愛かずみさんが不良グループから助け出した少女「理奈」という役割で登場しました。
岩内市街、ショッピングプラザ・ヤダのある通りに、銭湯の小松湯があります。

建物は新しく、最近改装したように思われる銭湯ですが、現在は休業中のようです。

奥行きのある建物です。

北海道の木造建築をイメージしたデザイン。

岩内の薄田遊廓があった住宅街。

倉島牛乳の牛乳箱があります。倉島牛乳は、北海道岩内郡岩内町の牛乳で、経営は、倉島乳業株式会社(本社は岩内町)です。

箱の側面には、「バター」と書かれています。

近くにあった倉島牛乳の販売所。

【参考URL】
*1 倉島乳業株式会社ホームページ
岩内市街を南北に通る道道840号線に、薄田橋という名の橋があります。ここは、かつて薄田遊廓があった場所です。
薄田遊廓は、明治 二十三年の岩内大火の後、市街に散在していた娼家が移転してできました。*1
昭和5年の「岩内市街図」*2 には、末廣楼、豊精楼、北辰楼などの妓楼名が記載されています。

交差点を東側に折れたあたりには、病院がありました。*2

このあたりには、当時全盛を誇った村上楼がありました。*3

逆方向(南側から)見た薄田遊廓跡地。

【参考文献】
*1 川嶋康男:北風に遊女哀歌を聴いた(総北海出版,1984)
*2 岩内町郷土館:昭和5年 岩内市街図(復刻)
*3 岩内町郷土館:明治44年 岩内港明細地図(復刻)
岩内の明治時代の繁華街は、青橋(現在の御崎付近)にありました。*1
「明治の中心街青橋」の石碑があります。

石碑の裏側(民家のブロック塀で見づらくなっていますが)には、「明治は岩内の鰊全盛時代で、その頃、青橋の通りは、商家、妓楼入り交って、殷賑を極めていましたが、明治二十三年の大火後、娼家は薄田遊廓に移転となったこと」などが書かれています。

北海信用金庫の玄関の左に、一本の古い柳の木が残っています。これは薄田橋から中央通りをずっと川が流れていて、川の片側にしだれ柳が並木になって植えられていたものの名残です。*1

現在の大橋家具店あたりに明治から昭和にかけて「金精楼」という料理屋がありました。*2
「金精楼」は、薄田遊廓のの妓楼「村上楼」とともに、岩内の全盛時代に花柳界で名声を謡われました料理店でした。*1*2

【参考文献】
*1 佐藤 十郎:余滴 復刻版(ぱとりあ岩内,2012)今昔場所案内,P.97-P.99,P.296
*2 岩内町郷土館展示物