勝富遊廓跡の近くにある須佐神社。

須佐神社本殿へ登る長い石段。

石段を登り切ったところの玉垣に「勝富楽園」の名があります。

玉垣は、左右にあって、反対側にも「勝富楽園」の名があります。

勝富遊廓跡の近くにある須佐神社。

須佐神社本殿へ登る長い石段。

石段を登り切ったところの玉垣に「勝富楽園」の名があります。

玉垣は、左右にあって、反対側にも「勝富楽園」の名があります。

勝富遊廓跡地の東側は急な斜面になっています(写真は東側から見たところ)。

坂道の途中にラブホテルがあります。

高台にあるホテルの入口。

「VODシアター 1000タイトル」。

勝富遊廓跡の北側の通り。

当時の風情を偲ぶことが出来る建物があります。

洋風の彫り物細工が施された窓。

現在は、アパートとして使われています。

勝富遊廓跡地の中心部。坂を上ったところに割烹旅館があります。

壁面全体が黒いタイルで装飾されています。

アーチ型の窓。*1

窓の部分の透かし掘り。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.74-P.75
小佐世保川沿いの小佐世保、須佐、高天の三町に挟まれた三角地点に、かつて勝富遊廓(別名小佐世保遊廓)がありました。勝富遊廓の前身は、木風遊廓で、明治24年4月、勝富遊廓へ移転しました。全盛期には、部屋数が三十余もあるような豪壮な建物が建ち並んでいました。遊客の多くは海軍の上級士官でした。*1

勝富遊廓の中心部。この付近には、勝富遊廓の事務所や券番がありました。*2

「昭和十年代 佐世保市内地番図」*2 によると、通りに面して、高松楼、幸昇亭がありました。

勝富町は、傾斜地を造成し、半円状に形作られました。*3

【参考文献】
*1 池田和博:させぼの歴史を歩く(ライフ企画社,1996)P.177-P.179
*2 昭和十年代 佐世保市内地番図(佐世保市立図書館蔵)P.29
*3 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.74-P.75
塩浜町の歓楽街にレトロな飲み屋横丁があります。

太陽光が入る高い天井。

逆方向から見た看板の裏側には「毎度ありがとうございます」と書かれています。

空き瓶がディスプレイされているBAR。

今回は、佐世保(長崎県佐世保市)の町並みと風俗を散歩します。
長崎県佐世保市塩浜町の通り。居酒屋やスナックが密集する歓楽街です。

レトロなスナックが建ち並びます。

おびたたしい数の看板が密集しています。

塩浜パビリオン。

呼子港の東側の「大網引通り」と名付けられた商店街には、古い町並みが残されています。

この町の消火器箱は、すべてこの形です。

鉢植えと煉瓦塀に挟まれた配置された消火器箱。

白菜が載せられた消火器箱。

殿ノ浦の旅館は、いずれも帆船時代の料理店・船宿から旅館業を始めた、長い歴史を持つ旅館です。呼子港は長い歴史を持ち、この町は多くの映画や小説の舞台となりました。

最近は、少人数での観光客が増え、ホテルタイプの近代的な施設へ転換しています。

呼子は、いか活き造りが名物となっていて、殿ノ浦の旅館の中にも生簀(いけす)で泳いでいるイカを料理してくれる旅館があります。

対岸から見た殿ノ浦の旅館街。

今回は、呼子(佐賀県唐津市呼子町)の町並みと風俗を散歩します。
「呼子町史 ふるさと呼子」*1 には、呼子の遊廓跡の場所が図示されています。それによると、遊廓は、殿ノ浦の田嶋神社のある通りの北側、旅館街を含む海沿いの通りにありました。

藩政時代より明治期にかけて、帆船の停泊地として名高かった呼子港において、殿ノ浦は娼妓の町として、昭和30年代まで紅燈の灯が点り、その賑わいは有名でした。遊廓としての実態は、昭和33年4月の「売春禁止法」施行まで続きました。*1
現在も、古い町並みが残っています。

通りには、商店も建ち並んでいます。

1軒だけあるスナック。

【参考文献】
*1 呼子町史編さん委員会:呼子町史 ふるさと呼子 (唐津市,2005)P.50-P.51