明石(祇園写真館)魚の棚商店街近くの木造建築の写真館。

明石駅前の商店街から路地を入ったところに、木造建築の写真館があります。

玄関部分はタイルで装飾されています。

色鮮やかなタイル。

路地はコの字方型になっていて、再び商店街に出ます。写真奥は魚の棚商店街です。

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明石(桜町の歓楽街)高度成長期に社交街」を形成。

明石駅前の桜町には、高度成長期に、旅館、スタンド、スナック、バー、そしてキャバレーなどが集まって一大「社交街」を形成しました。*1

現在は、居酒屋やスナック店などが営業しています。

「花街ビル」という名前のビルもあります。

「銀座横丁」、「さくら小路」、「白雲通り」などの通りや小路が連なっています。

【参考文献】
*1 現代風俗研究会:20世紀の遺跡(河出書房新社,2002)P.34-P.38111

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明石(明石遊廓跡)高層マンションが建ち並ぶなか。

高層マンションが建ち並ぶなか、かつての遊廓であった建物があります。

昭和30年代に貸座敷から旅館に転用され、その後、住宅に転用されたものです。*1

歴史を感じさせる木造の建物です。

1階部分の格子には、遊廓建築の特徴が残されています。

【参考文献】
*1 現代風俗研究会:20世紀の遺跡(河出書房新社,2002)P.34-P.38

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明石(明石海浜ヘルスセンター跡)現在は駐車場になっています。

今回は、明石(兵庫県明石市)の町並みと風俗を散歩します。
JR明石駅を下車し、南側のフェリー乗り場の方へ向かって歩くと、錦江橋(きんこうばし)があります。

明石港に面した出島状の中崎には、江戸時代、お茶屋があって風光明媚な場所であったようです。

中崎には、戦前は遊廓があって14の楼が「明石貸座敷業組合」をつくっていましたが、戦後は赤線に移行しました。*1
電柱のプレートには、「シンチ」と書かれています。

1958年の売防法施行後、貸座敷の多くは旅館などに転業したほか。大規模なヘルスセンター、ボーリング場、ローラースケート場ができるなど、新たなスタートをきりましたが、現在はマンションが立地する住宅地に変貌しました。ヘルスセンターの廃墟は2000年に取り壊され、「明石海浜ヘルスセンター」の名にちなんだ「ヘルス明海」という駐車場になりました。*1

【参考文献】
*1 現代風俗研究会:20世紀の遺跡(河出書房新社,2002)P.34-P.38

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津山(西村旅館)重厚な木造3階建て。津山市街の中心部。

津山市街の中心部に、古い木造の建物があります。

看板に「西村旅館」と書かれています。

重厚な木造建築です。

細長い煙突。煙突の下部に「火口用」と書かれています。

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津山(ケンコウ牛乳の牛乳箱)金太郎のマーク。東新町の「大曲り」。

東新町の「大曲り」(道が鍵型に曲がっている場所)。

軒下に中元牛乳の牛乳箱があります。

津山駅前近くの寂れた感じの商店街。

ケンコウ牛乳の牛乳箱。金太郎のマークが印象的です。

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津山(福寿湯)町並み保存地区の銭湯。古い銭湯の建物。

保存地区に指定されている東新町の町並み。

古い銭湯の建物が残っています。

壁面に「福寿湯」と書かれています。

銭湯の脇の小路。

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津山(東新町)江戸時代、船宿がありました。

 東新町は、出雲街道の中でも、近世、最も栄えていました。

旧天神橋袂の吉井川には船着場があり、船が着くと多くの下船客のために便所がいっぱいになるほど繁盛しました。*1

東新町には、肥後屋、若狭屋、高尾屋、松本屋などの屋号の船宿があって、船宿では料理を出し、性的な待合機能もありました。*1

旧天神橋から東新町へ向かう途中の道。

【参考文献】
*1 森栗茂一:河原町の歴史と都市民俗学(明石書店,2003)P.396-P.397

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津山(スタンド「ひとみ」)遊廓跡地のスナック店。清酒「加茂五葉」。

津山遊廓があった通り(写真奥は津山城址)。

通りに面して木造のスナックの建物があります。

現在は、営業していないようです。

スタンド「ひとみ」の看板。清酒「加茂五葉」は津山の地酒です。

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津山(津山遊廓跡地)材木町の追廻馬場跡地。本琳寺近くの通り。

津山市の宮川大橋の袂にある材木町には、江戸時代、(騎射の稽古のための)追廻馬場がありました。
明治維新後、市中においてみだりに芸妓を引き寄せる者があり、風紀が乱れ弊害が出ていたことから、明治4年、津山藩庁は、追廻馬場を集娼地と決め、追廻は後の津山遊廓へと発展しました。*1*2

津山遊廓跡地(「近代岡山の女たち」*2に掲載されている写真と同じアングル)。

付近には、古い建物も残っています。

本琳寺(写真奥)近くの通り。

【参考文献】
*1 津山市史編さん委員会:津山市史(津山市,1974.)P.149-P.152
*2 岡山女性史研究会:近代岡山の女たち(三省堂,1987)P.268-P.280

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