勝山(花街跡)タイルの装飾。屋根の部分の装飾。

花街の南端にある木造の建物。

屋根の部分の装飾。

赤線跡を歩く.完結編*1 に掲載されてるタイルの装飾。

建物の下部全体が黄色のタイルで装飾されています。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く.完結編(自由国民社,2007)P.24

参考文献

参考記事

勝山(花街跡)川原通りの南端

川原通りの南端にある料理店。

地元の方の話によると、花街だった頃の名残を残す建物だそうです。

丸窓まどの外観に特徴があります。

重厚な木造の建物です。

参考文献

参考記事

勝山(勝山遊廓跡地)当時の名残をとどめる建物。

今回は、勝山(福井県勝山市)の町並みと風俗を散歩します。
勝山市街の河原通りは、明治時代より栄え、料亭、貸席、遊廓や置屋などが並び賑わいをみせていた勝山唯一の花街でした(写真右手前の案内板より)。

現在も遊廓の名残をとどめる建物が残されています。

名残をとどめる建物は、通りの片側に集中していますが、地元の方の話によると、当時は通りの反対側(写真奥)にも料亭などが建ち並んでいたそうです。

大半の建物は改築されていて、当時の面影は少なくなりつつあります。

参考文献

参考記事

三国(山田牧場の牛乳箱)ひらがなで「やまだ」。

山田牧場の牛乳箱。古い町並みに、木製の牛乳箱が似合います。

上から見たところ。

住宅地にあった山田牧場の牛乳箱。

側面には、ひらがなで「やまだ」と書かれています。

参考文献

参考記事

三国(白ポスト)キンダーホール三国玄関脇。南本町三丁目。

三国町南本町三丁目。ここに、坂井市の「キンダーホール三国」があります。

「キンダーホール三国」は、児童、生徒の健全育成を図るため、坂井市教育委員会が運営している施設です。

施設の玄関脇に白ポストがあります。

白ポストの側面には、「青少年愛護センター」と書かれています。

参考文献

参考記事

三国(出村遊廓跡)かつての華やかな時代の名残。

松ヶ下から上ハ町の地に移った遊廓は、鉄道開通後は駅前となったので、現在の出村に移りました。*1

三国は、遊廓の町並みが保存された数少ない町です。

かつての華やかな時代の名残が残っています。

腰廻りに石材が配置された店。

【参考文献】
*1 岡本文弥:遊里新内考(同成社,1967)P.13-P.15

参考文献

参考記事

三国(見返り橋)最近、案内板が建てられたました。

三国町神明3丁目に、「見返り橋」があります。最近設定されたと思われる案内板があります。

「三国節」の歌詞に、”唄の上ハ町 情けの出村 わずか隔てて地蔵坂”とありあます。三国には、福井藩領の「上ハ町(うわまち)」と丸岡藩領の「出村(でむら)」に遊廓があって、二つの遊廓を繋ぐ坂道が地蔵坂(じぞうざか)でした(案内板の説明より)。
写真の奥が地蔵坂です。その名の通り、坂を登ったところに地蔵があります。

案内板に江戸時代の絵図に「見返り橋」の場所が記されています。有名な思案橋は、同じ辰巳川の川下側にあります。

現在の辰巳川。一部は暗渠になっています。

参考文献

参考記事

三国(豊田屋歌川の句碑)妙海寺。三国の遊女にして俳人。

三国町山王にある妙海寺。ここに、豊田屋歌川の句碑があります。

「豊田屋歌川(とよだやかせん)」は、三国の遊女にして俳人(俳号を哥川)のことで、江戸時代中後期に活躍しました。*1

歌川の代表作「奥底の知れぬ寒さや海の音」。心にしみる名句です。*1

歌川の墓とされる豊田屋の墓。歌川の法名とされる「釈尼妙春」が刻まれています。

【参考文献】
*1 久保悌二郎 :遊女・豊田屋歌川(無明舎出版,2011)P.7,P.83,P.103-P.109

参考文献

参考記事

三国(松ヶ下)三国の新地は、最初は西光寺付近、松ヶ下一帯にありました。

三国の新地は、最初は西光寺付近、松ヶ下一帯にありました。*1

三国祭の山車格納庫の壁面に、松ヶ下に関する案内板があります。それによると、遊廓が上新町に移転された後は、松ヶ下は商人街となり、繁栄しました。

現在も商人街の名残が、残されています。

旅館の建物。

【参考文献】
*1 岡本文弥:遊里新内考(同成社,1967)P.13

参考文献

参考記事

三国(遊女の墓の玉垣)松ケ下西光寺。遊廓関係者の寄進者の名前

西光寺の遊女の墓の周囲の玉垣には、芸妓組合など、遊廓関係者の寄進者の名前があります。

料理屋組合。

遊廓三業組合。

「貸」以下の文字が削り取られた玉垣。

参考文献

参考記事