琴平(新地への入口)アーチの支柱は今も残ります。

琴平新地は、一般の民家や旅館に隣接していて、塀や柵に囲まれることはありませんでした。

しかし、参詣者用に2か所の入口が設けられていて、そのうちの1か所にはアーチが建てられ、「新地入口」と書かれた傘のついた電気がぶらさがっていました。そのアーチの支柱は今も残ります。*1

旅館脇に支柱の一部と思われる痕跡が残されています。

もう一つの新地への入口は、現在の新町商店街の中ほどにありました。*1

【参考文献】
*1 前島裕美:お茶の水地理 42 P.77-P.80 「香川県仲多度郡琴平町新地遊廓周辺の復原

参考文献

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琴平(夜の街)遊廓の跡地。表参道をそれた裏小路。

表参道をそれて裏小路に入ると、ソープランドやスナックが散在する一角が出現します。

このあたりは栄町と呼ばれ、今でこそ人通りは少ないが、数十年前までは琴平屈指の盛り場として賑わいを誇り、現在の表参道沿いをすら凌駕していました。賑わいの理由は、参詣者の目当ての一つである遊廓があったためです。*1

昭和33年の売春防止法施行以降、遊廓の歴史は閉じましたが、その後も跡地は、ソープランドやバー、スナックが散在する「夜の街」という性格を現在も持ち続けています。*1

栄町の西側を流れる金倉川から見ると、川沿いにソープランドの建物が連なる景観に驚かされます。

【参考文献】
*1 前島裕美:お茶の水地理 42 P.77-P.80 「香川県仲多度郡琴平町新地遊廓周辺の復原

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琴平(花街跡)石段の数の多さで有名な金刀比羅宮。

今回は、琴平(香川県仲多度郡)の町並みと風俗を散歩します。
琴平には、山腹の社殿までの石段の数の多さで有名な金刀比羅宮、通称「こんぴらさん」があります。

表参道には参詣者が常に往来し、それに面して大型旅館・ホテル、参詣者向けの土産物屋が並びます。

古い門前町としての琴平の遊廓は、金山寺町(現在の通町、小松町)にあって、茶屋、賭場、富くじ小屋、芝居小屋などが建ち並ぶ遊興の地でした。しかし、一般の商店や旅館との混在は風俗上有害であるという理由から遊廓は明治33年(1900年)に、現在の栄町に移転され、新地と呼ばれることになりました。*1

金山寺町は、色街という性格は失いましたが、「琴検」と通称された芸妓検番が置かれ、娯楽の地として賑わいを続けましたが、時代の推移とともに衰退し、昭和56年(1958年)に検番も廃止されました。*1
地元の方の話によると、最後に検番があったのは、現在の饅頭屋の「灸まん」がある場所でした。

【参考文献】
*1 前島裕美:お茶の水地理 42 P.77-P.80 「香川県仲多度郡琴平町新地遊廓周辺の復原

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下津井(黒田牛乳の牛乳箱)「K乳」のマーク。

下津井の西町。

牛乳箱のある古い民家。

黒田牛乳の牛乳箱です。箱の中央に「K乳」のマークが配置されています。

木造の建物には、木製牛乳箱がよく似合います。

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下津井(共同井戸群)生活空間をなりたちを嗅ぎ取ることができます。

下津井は海岸線に沿って、軸となる道が通り、その両側に町並みが形成される近世港町の典型的な都市構造となっていますが、実はそれ以前の中世に背後の丘陵に向かって井戸と祠のある生活空間がひろがっていました。*1
下津井の町並みにはいくつもの井戸が点在し、「下津井共同井戸群」として文化財登録されています。

生活空間をなりたちを嗅ぎ取ることができます。

同じ場所の奥まったところにある別の井戸。

同じような井戸が何カ所かあります。

【参考文献】
*1 陣内秀信,岡本哲志:水辺から都市を読む(法政大学出版局,2002)P.347

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下津井(遊廓跡)元遊廓と思われる木造三階の建物

下津井港に北前船がくるようになったのは、18世紀後半からで、秋になると何十艘という船団を組んできたので、これを迎える港町はてんてこ舞いの忙しさでした。北国の船頭をもてなすために地元の遊女のほかに他の港から応援を求めたり、港の素人娘をかり集めたりしました。*1

下津井の花街は、祇園神社の裾野の西町付近にひろがっていました。*2

「下津井懐古」*1 に掲載されている元遊廓と思われる木造三階の建物。

西町の奥の道がカーブするあたりに建っています。

【参考文献】
*1 中西一隆,角田直一:下津井懐古(手帖舎,1989)P.42,P.64-P.65
*2 陣内秀信,岡本哲志:水辺から都市を読む(法政大学出版局,2002)P.345 「下津井の都市構成図」

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下津井(祇園神社)遊女が寄進した玉垣。見晴しのよい所。

下津井で見晴しのよい所といえば、祇園神社です。

石段を登ると、瀬戸内海と瀬戸大橋を一望できる大パノラマが眼前に広がります。

祇園神社の玉垣には、加賀、能登、越中、越後の商人、船頭に交じって、寄付をした遊女の名も刻まれています。*1

本殿の玉垣に芸妓の名前が刻まれています。入舟内小繁、三長内小三、川高内小美可、島津内玉一などの名が見えます。*2

【参考文献】
*1 加藤貞仁:北前船 寄港地と交易の物語(無明舎出版,2002)P.37
*2 角田直一:北前船と下津井港(手帖舎,1992)P.167-P.168

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下津井(まだかな橋跡)「まだ(遊廓に)あがらんかな」。

今回は、下津井(岡山県倉敷市)の町並みと風俗を散歩します。
下津井は、瀬戸内の代表的な近世の港町です。古い町並みの入口にあたる場所に「まだかな橋」の碑が建てられています。

まだかな橋跡。親柱が残されています。

江戸時代、入港してきた北前船などの船頭に、「まだ(遊廓に)あがらんかな」と声かけた婆がいたことから、この名が付けられました。

最近、建てられたと思われる「まだかな橋跡の碑」が道路の反対側にあります。

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日比(白ポスト)日比市民センター前の入口。

日比のハス停から日比港へ向かう途中の道。

日比市民センター前に白ポストがあります。

入口から入ると白ポストが目に入るように配置されています。

道路からは白ッポストの側面が見えます。

参考文献

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日比(八千代湯跡)モダンな造りの銭湯。古い町並み。

緩やかなカーブを描いて、古い町並みが続いています。。

昭和10年の日比町住宅明細図にも記載されている銭湯の八千代湯の建物が現在も残っています。

モダンな造りの銭湯です。

女湯の掲示が見られることから、この建物が銭湯であったことが解ります。

参考文献

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